脳と心は同じもの?人類最大の謎「意識のハードプロブレム」とは何か

「物質と非物質の関係」という難問
山本 貴光 プロフィール

植物状態の人の「心を読む」技術

この問題については、古来ヨーロッパの哲学を中心としてさまざまに議論され、解決案が提案されてきた。

例えば、心と脳は同一のものだと考えれば、そもそも先ほどのような問題は生じないとか(心脳同一説)、私たちが心と呼んでいるものはじつは存在しなくて、あるのはただ物質としての脳とその働きだけだとか(唯物論)、いやいや、やっぱり心と脳はどちらもあって、なんらかのかたちで関係しあっているのだ(二元論)などなど。

こうした議論については解説書も出ている。ここでちょっと宣伝すると、私が吉川浩満くんと共訳したジョン・R・サールの『MiND 心の哲学』(ちくま学芸文庫、2019)もそうした本の一冊だ。心脳問題についてどのような議論が戦わされてきたのかをさらに詳しく知りたい方はご覧いただければ幸いである。サールは従来の諸説を整理しながら、それぞれどこか拙いのかを指摘した上で自説を提示している(その内容は後述する)。

とはいえ、ここまで読んでみて、なんだかバカバカしいと感じる向きもあるかもしれない。

 

だってそうだろう。そんな屁理屈みたいなことを言っても現に脳科学によって脳の仕組みの解明は続いているし、そうした知見を応用した技術もいろいろ出ているではないか。このまま進んでいけば、やがて心脳問題なるものだって消えてなくなって、昔の人はなんであんなことで悩んでいたのだろうと思う日が来るに違いない……と。

たしかに脳科学とそれに関連する技術の進展はめざましい。その様子は、例えば『カンデル神経科学』(メディカルサイエンスインターナショナル、第5版の邦訳)のように版を重ねている教科書を覗いてみても実感されるところだ。そうした技術の例をいくつか挙げてみよう。

例えば、脳の活動状態を見えるようにする技術がある。fMRI(機能的磁気共鳴画像法)スキャナーを使えば、従来は見たくても見ようがなかった脳の活動を可視化できる。

fMRIで得られる脳の活動状態を示す画像(Photo by gettyimages)

この装置の威力を教えてくれる格好の本がある。神経科学者のエイドリアン・オーウェンが書いた『生存する意識――植物状態の患者と対話する』(柴田裕之訳、みすず書房、2018)だ。

植物状態とは、脳の損傷などによって、外部からの刺激に反応せず、そのため外から見て意識の活動を確認できない状態のこと。かつてはそうした植物状態の人の意識を確認する術はなかった。

だがfMRIを使えば可能になる。植物状態の人に「はい」か「いいえ」で答えられる質問を投げかける。このとき外見上は反応がなくても、脳の活動状態をfMRIで見ると、応答しているのを確認できる場合があるのだ。オーウェンの本は、そうした発見の顛末を語った驚くべきものだ。

また、ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)と呼ばれる仕組みがある。簡単に言えば、頭に装着したセンサーから脳波を検出して、それをコンピュータで分析し、その信号によって各種装置をコントロールする技術だ。YouTubeで検索すれば実験の様子を映した映像も見られる(ただし映像で真偽を確認するのは難しいことにも注意したい)。

例えば、コンピュータゲームをプレイしたり音楽を演奏したりと、さまざまな用途のBMIも実験されている。少し前のものだが、櫻井芳雄『脳と機械をつないでみたら――BMIから見えてきた』(岩波書店、2013)を読むと基本的な仕組みを理解できる。

このように、かつてSFで想像されていたような技術が、神経科学の知見に基づいて研究開発されつつある。こうした様子を見れば、心脳問題などどこ吹く風、てなものである。そう思っても無理はない。

ただし、これらの技術は、必ずしも「脳がすっかり解明された成果」というわけではない点にも注意しよう

例えば、脳の活動状態を見えるようにした脳画像は実のところ、なにを表しているのか。それは、脳のどの部位が活性化しているか、さらにいえば脳の血管を通る血液中の酸素濃度という物理的な状態を表している。そして、それ以上でもそれ以下でもない。

そこから先は解釈と推測が必要となる。この画像から一足飛びに、その人の心の状態がくまなく分かるわけではない(この点についてはサリー・サテルとスコット・O・リリエンフェルドの共著『その〈脳科学〉にご用心――脳画像で心はわかるのか』(柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2015)に詳しい)。

そして実は、ここに心脳問題の核心が現れている。