脳と心は同じもの?人類最大の謎「意識のハードプロブレム」とは何か

「物質と非物質の関係」という難問
山本 貴光 プロフィール

なぜ心は体を動かせるのか

さて、そうはいっても「心脳問題」のいったいどこが難問なのか。

話は「人間をいくつの要素で捉えるか」という問いから始まる。古来、いくつかの見方が提出されてきた。物質としての体だけがあるとか、心と体という二つの要素からなるとか、その他に魂もあるとか。みなさんの実感としてはどうだろう。

例えば小説やマンガや映画などの創作物で、人物の内心の声が表現されることがある。

〈ふと彼は疑問に思った、自分はこの日記を誰のために書いているのか? 未来のため、まだ生まれぬものたちのためか。彼の心は一瞬、頁に記された疑わしい日付の上をさまよったが、結局、衝撃とともに〈二重思考〉というニュースピーク語に思い当たった〉(ジョージ・オーウェル『一九八四年』、高橋和久訳、ハヤカワ文庫、16頁)

これは『一九八四年』の主人公が、監視システムに隠れて日記を書こうとしている場面での心の動きを記したくだり。私たちは、日常でもこんなふうに、誰かが心のなかでなにかを感じたり考えたり欲したりすることを前提にしている。

いまさらなにを言っているのかと思うかもしれない。問題は、私たちがこんなふうに心と名付けて捉えている「なにか」を、どう扱うかにかかっている。

 

というのも、私たちには体がある。体はたくさんのさまざまな種類の細胞からできている。もっと大雑把に言うなら、体は物質の塊だ。

では、体が物質だとしたら、心はどうか。体とは別のなにかなのか

「いや、体だけがあって全部それで説明がつく」といえば話は簡単になる。他方で、古くから「心は物質とは別のなにかだ」という見方がある。

例えば、「物質としての体は死滅するけれど、魂(いまの私たちの話でいえば、心に当たる)は不滅であり、また別の体に宿る」といった古代の神話などに見られる発想はその一例。あるいは近代ヨーロッパで発達した哲学(いまでいう自然科学も含まれる)でも、心は体、つまり物質とは異なるものだという見方が提示されたりもした。

では仮に、心が物質でないとしたらなんなのか。言い方が難しいが、「物質ではないもの」、つまり非物質と仮定すればこうなる。

・心=非物質

・体=物質

この見方が妥当かどうかはさておき、このように人間を二つの要素に分けて捉えるわけである。どちらか一方だけでは片付かないという見方だ。

こう考えた場合、疑問が浮かんでくる。もし心が物質ではないとしたら、物質である体と物質ではない心は、いったいどうやって互いに関わりあっているのだろう。また、その関わりあいの証拠はどうしたら確認できるだろう。

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具体的に考えてみよう。私たちはお茶を飲もうと思ってカップを手にとり、口元まで運んで飲んだりする。スマートフォンを手にとって写真を撮る。「これ、おいしいね」と目の前にいる友だちに話したりする。自分の体で起きることすべてというわけではないにしても、少なくともその一部を、自分の意思で動かしている。

ではこのとき、心と体はどんなふうに協調しているのか。これを哲学の言葉で「心身問題」と呼んだりする。現在では、心の座は脳にあると考えられているので、心と脳はどんなふうに関係しているか、と的を絞ってみてもいい。先ほど「心脳問題」と言ったのはこのことだ。