知ってましたか?中国がいま、世界屈指の「現代アート大国」に変貌中

当局の後押しと規制の中で
佐々木 玄太郎 プロフィール

抑圧の時代から、アジア最高額へ

一方で、政府によって社会が管理され厳しい情報統制が敷かれている中国において、先鋭的な表現を含む現代美術のアーティストたちが自由な表現活動をすることはどの程度可能なのか、と疑問を持つ向きもあるだろう。

事実、中国における政府と現代美術の関係、および現代アーティストたちの活動環境は、時代によって大きく変化してきた。

中国においていわゆる現代美術の活動が見られるようになったのは、改革開放政策の始まった1970年代末ごろからである。

改革開放により欧米圏を始めとする海外からの情報が国内に流入し始め、その刺激を受けて、美術界においても若い世代を中心に様々な実験的な活動が行われるようになる。1980年代半ばには、「’85新潮」という中国で初めての現代美術運動が全国規模で巻き起こった。

 

1989年には関係者の努力が実り、北京の中国美術館という国内の美の殿堂ともいうべき会場で、中国各地の現代美術作品が一同に会する大規模グループ展が開催されることとなった。

しかし、その開幕の直後、出展アーティストのうちの一人が自身の作品に発砲するという事件が発生し、展覧会は一時閉鎖の事態となった。その後も美術館に爆破予告が届くなど、この展覧会は現代美術のきな臭さを印象づけるものともなった。

そして、同年6月には天安門事件が発生したことで、文化芸術の領域でも当局の取り締まりは厳しさを増し、現代美術の活動を積極的に擁護していた美術雑誌が停刊となるなど、中国の現代美術は逆風の時代を迎えた。

1989年2月に中国美術館で開催された「中国現代芸術展」(Photo by gettyimages)

1990年代には、中国の現代アーティストの作品が海外でも注目されるようになり始め、国際展においても中国出身者の作品発表の機会が増加し始める。

しかしその一方で、中国国内では現代美術という存在はいまだに社会的に地位を認められておらず、またギャラリーをはじめとする市場システムも整わず、現在とは異なり発表の場も作品取引の機会も極めて限られていた。北京郊外には若いアーティストたちが集まり芸術家村と呼ばれるコミュニティーが形成され、そこでは過激でアンダーグラウンドな活動も展開された。

2000年代に入り、現代美術はようやく中国当局からもその地位を事実上公認されるようになる。それはたとえば、それまで油彩や水墨といった伝統的な表現による作品を主な展示作品としてきた上海ビエンナーレに、2000年からは現代美術が組み込まれたことなどが象徴の一つとして挙げられる。

2000年代には、北京や上海に現代美術を主として扱う美術館が創設され始めたほか、それらの都市の工場跡地にギャラリーやアーティストのスタジオが集まる芸術区も形成されるようになる。

この芸術区は90年代のアンダーグラウンドな芸術家村とは別物で、やがて当局にも公認されるようになり、現在では観光客が多数訪れる観光スポットともなっている。

そして2000年代半ば以降、中国のアートマーケットは急成長を見せ、国内および香港で大規模なアートフェアやオークションが開催されるようになり、国際的にも大きな存在感を示し始める。

中国系アーティストの作品価格も高騰し、人気作家の作品がオークションで100万ドル以上の高値で落札されるといったニュースがたびたび注目を集めるようになった。2013年には、ザン・ファンジィ(曾梵志)の作品《最後の晩餐》が2330万ドル(約22.6億円)という額で落札され、アジア現代美術の最高額の記録を大幅に更新している。

マーケットで極めて高い人気を誇る中国人アーティスト、ジャン・シァオガン(張暁剛)とザン・ファンジィ(曾梵志)の作品(Photo by gettyimages)

そして現在では、上海の西岸エリアや各地の芸術祭に見られるように、政府が政策として現代美術を都市計画の中に位置付け、積極的に活用・推進しているという状況を迎えている。中国においてはこの20年足らずで、現代美術を取り巻く環境は逆風から追い風へ一変したと言えるだろう。