ブレクジットの背後でうごめく「帝国2.0」という奇妙な思想

「アングロスフィア」を夢想する人々
馬路 智仁 プロフィール

「グレーター・ブリテン」を求めてきた歴史的背景

ただしそれでも、イギリス政治思想史・知性史を研究する者としてきわめて興味深いのは、このようなCANZUK連合やアングロスフィアといった過去へのノスタルジアの背後にはこれまであまり注目されてこなかった分厚い知的業績が横たわっているという点である。

というのも、世界に散らばる英語圏諸国の政治的統合という発想は、歴史的に見れば目新しいものでは全くない。とりわけ、19世紀最後の四半世紀から20世紀初頭(つまりヴィクトリア朝後期からエドワード朝期)にかけてそのような発想は一つの隆盛を迎えた。

当時それは、「グレーター・ブリテン」(Greater Britain)構想という名で呼ばれた。この名称の下で、政治イデオロギーの相違(自由主義者から社会主義者まで)を問わず多様な思想家が、イギリス本国と移住植民地(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ地域)との、さらにはアメリカ合衆国をも包摂した英語圏諸国全体の、緊密な統合を提唱していたのである。

 

なかでも重要な人物としては、J.R.シーリー(John R. Seeley、ケンブリッジ大学近代史欽定教授)、E.A. フリーマン(Edward A. Freeman、オックスフォード大学近代史欽定教授)、ゴールドウィン・スミス(Goldwin Smith、イギリスやカナダで活躍した歴史家)、A.V. ダイシー(Albert V. Dicey、法学者)、J.A. フルード(James A. Froude、歴史家・小説家)、ジェームズ・ブライス(James Bryce、自由党の政治家)、J.A. ホブスン(John A. Hobson、「異端の」経済学者)、L.T. ホブハウス(Leonard T. Hobhouse、ニューリベラルの政治理論家・社会学者)、チャールズ・ディルク(Charles Dilke、政治家・共和主義者)、セシル・ローズ(Cecil Rhodes、帝国主義の政治家)、アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson、詩人)、W.T. ステッド(William T. Stead、急進的ジャーナリスト)を挙げることができる。

19世紀半ばにジョン・ステュアート・ミルは「地球の半分の距離でへだてられている」イギリスと移住植民地は、そうした物理的・自然的条件のために「一つの統治体制」の下に置かれたり、「同一の公衆」を形成することはできないと論じた(『代議制統治論』第18章、1861年)。

しかしそのような主張は、同世紀後半以降の通信・輸送技術における相次ぐイノヴェーションとドイツ・アメリカの台頭に伴う「衰退への恐怖」に支えられたグレーター・ブリテン構想の中でかき消されていったのである。

血統や言語が重視されたグレーター・ブリテン

そのようなグレーター・ブリテン構想の例を幾つか紹介しよう。

ケンブリッジ大学で教鞭をとった著名な歴史家J.R. シーリーは、ベストセラーとなった『英国膨張史』(The Expansion of England, 1883年)においてインドと移住植民地(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ)を厳格に区別した。

シーリーによると、前者と異なり後者は本国のイングランド人と血筋を共有するその子孫、いわば人種的同胞の活動領域である。帝国連邦同盟(the Imperial Federation League, 1884-93年)の旗手の一人でもあったシーリーは、そのような移住植民地とイギリス本国をアーチ状に覆う、大洋横断的なグレーター・ブリテン連邦政府の設立を唱え、それを「巨大で堅固な世界規模の国家(World-State)」と呼んだ。