「雑誌の時代」幕開けに沸く新興出版社を襲った未曾有の大震災

大衆は神である(41)
魚住 昭 プロフィール

波の上にいるような気がした

滝田哲太郎の自宅は、帝大正門向かい側の西片町に入る道を右に折れて陸橋を渡り、右に入ったところにあった。庭の池には高価な鯉が無数に泳ぎ、晴れた日には、滝田が「望嶽楼」と名づけた2階の書斎から富士山がよく見えた。

『木佐木日記』によれば、その日午前、滝田の母の訃報が中央公論社に届いたので、木佐木勝は滝田邸に駆けつけた。悔やみを述べたあと、広間で滝田と話していると、突然、激しい家鳴りがして、座っていた体がどしんと突きあげられた。

 

とっさに立ち上がり、滝田といっしょに部屋の太柱につかまった。普通の地震とちがって揺れが大きく、波の上にいるような気がした。めりめりという音がして、家が倒れそうだった。

とたんに邸内の土蔵の中でがらがらと激しい音がして、滝田愛蔵の皿だか壺だかが砕け落ちる音がした。滝田はちょっとそのほうに気をとられ、息を呑んだような表情をした。

地震がいったんおさまって、木佐木が土蔵の屋根に上がったら、九段のあたりに数ヵ所煙の上がっているのが見えた。急に隣近所の人声が騒がしくなった。

大きな揺り返しが何度もやってきた。木佐木は滝田邸を辞し、本郷の電車通りへ出て驚いた。大学構内の建物から火がめらめらと激しい勢いで隣の建物に燃え移っていた。

電車線路の上にはタンスだの火鉢だの、その他家財道具がいっぱい並べられ、傍らで女たちがかたまって不安そうに話し合っていた。電車は止まっていて車内には人影も見えなかった。仕方がないから万世橋から省線(現JR)で帰ろうと思って急いだ。ところが万世橋駅にも人影はなく、駅員の姿も見えなかった。木佐木はそのときはじめて地震の被害が並々でないことを知った。

丸ビルの7階で

地震が起きたとき、丸ノ内ビル7階の中央公論社では『婦人公論』主幹の嶋中雄作が、記者志望の女性と応接室で面接していた。『婦人公論』では3ヵ月前、記者の波多野秋子と作家の有島武郎が軽井沢で情死して欠員が生じたので補充を募集していたのである。

どこからともなくワーッと突風が吹いたと思ったとたん、巨大な丸ビルが上下左右に揺れ、鉄筋はミシミシと音を立て、壁に大きな亀裂が走った。シャンデリアは大きな音を立てて落ち、テーブルの上の物はバラバラと床に散乱した。嶋中と応募の女性は円卓に両方からかじりつきながら揺られていた。

そこへ、たまたま中央公論社を来訪中だった作家の村松梢風が飛び込んできた。『中央公論社の八十年』は「彼らはみな円卓にかじりついて、揺られながら、生きた心地もなかった。中央公論社は丸ビルの七階にあったから、彼らは東京市民のだれよりも高所にあり、おそらく文字どおり最高の恐怖を味わったはずである」と記している。

最初の動揺がおさまると、彼らは中央公論社を出た。丸ビルのエレベーターは全部停止していて階段からおりた。昼でも灯されている電灯が停電で消えているので、薄明のようだった。

彼らはビルの外へ出て、濠端を通り、小石川のほうへ向かったが、神保町のあたりまでくると、避難する人の群れで、歩行も自由にならないほど混み合っていた。