「雑誌の時代」幕開けに沸く新興出版社を襲った未曾有の大震災

大衆は神である(41)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

数多の傑物が集う新興出版社がリードして幕が開けた「雑誌の時代」。大衆文化の創成が始まろうとするまさにそのとき、未曾有の災害が東京を襲う。

第五章 少年たちの王国──関東大震災(1)

図書館炎上

大正12年(1923)9月1日――東京は明け方から荒れ模様だった。

能登半島付近から三陸方面に向かう低気圧が関東地方に強い雨と風をもたらしていた。

雨は午前中にやんだ。が、風速10メートルを超す南風は依然としておさまらなかった。

 

吉野作造は午前10時ごろ、研究室に出勤した。すると、門下生の鈴木東民(戦後、読売争議の闘争委員長)がやってきた。大阪朝日新聞に採用され、京都支局詰めを命じられたので今夜出発するという。吉野は鈴木に頼まれるまま、京都帝大教授の河上肇への紹介状を書いてやった。

正午少し前、吉野は同僚教授の上杉慎吉に誘われて食堂に向かった。建物を出て、27〜28番教室の横に差しかかった午前11時58分、鳴動が起きた。(註①)

マグニチュード7.9。死者・行方不明者約10万人を出す関東大震災の始まりである。

理学部の地震学教室では、揺れと同時に地震計の針の大部分が記録紙の外に飛び出し、破損した。二倍強震計だけが辛うじて動いたが、それもすぐに故障した。

帝大の煉瓦建造物の壁面があちこちで倒壊した。学内3ヵ所から火の手が上がった。工学部の応用化学実験室、医学部薬学教室、同医化学教室の地下研究室である。いずれも発火原因は薬品棚の倒壊によるものだった。

このうち応用化学実験室は全焼したものの他への延焼を免れ、薬学教室はただちに消し止められた。赤門わきの医化学教室の火焰のみが猛威をふるい、南の生理学教室、北の薬物学教室を焼き払った。

南風が激しかったため、火はさらに北側の図書館(煉瓦造り2階・一部4階)を襲って、その内部をことごとく焼き尽くした。図書館の火は北隣の法文経教室、八角講堂と進み、さらに山上会議所などに及んだ。

こうして赤門わきから発した火は、正門付近を経て三四郎池のわきの山上まで舐めつくし、建物総面積の3分の1、約1万2000坪を焼いた。

火災により、各教室が積年の研究で収集した資料、標本、蔵書が焼失・破損した。中でも図書館全焼による被害が大きく、創立以来集積された内外の書籍約75万冊が一挙に失われた。(註②)

「図書館危うし」の報をきいて駆けつけた吉野は、ある貴重な資料を取り出そうとして2度、館内への突入を試みた。だが、煙と炎に阻まれて果たせず、ついにその資料は灰燼に帰した。炎を恨めしそうに見上げながら立ちつくす吉野の頰には涙が流れ落ちていたという。(註③)

註① 『吉野作造選集14 日記二』(岩波書店刊)より。
註② 『東京大学百年史 通史二』より。
註③ 住谷悦治『鶏肋の籠』(中央大学出版部刊)より。