ヴェーバーはかなり優秀でしたから、もちろん病気の前から当時としては注目されていました。すでに社会学者としても評価され、あるいは非常に舌鋒鋭い政治評論家としても有名でした。
しかし、もしヴェーバーが33歳、あるいは大学を辞めた39歳の時点で著作活動をやめていたら、100年経った後、われわれがヴェーバーを思い起こすことはなかったでしょう。
100年後も繰り返し読まれるような人になったのは、39歳の後も著作活動をしていて、しかもそのほうが以前より、いまから見るとクオリティははるかに高いからです。
たとえば、よく知られている『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、1904年の夏から1905年にかけて書かれた、一番記念碑的な大業績です。
あるいはその直前に、これも非常に重要な論文ですが、『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』という長ったらしい題の、ふつう「客観性論文」と言われている論文があります。これは1904年の春に書かれている。
彼はなぜか、鬱病が一番重い時期に、最も重要な著作を書いているのです。
ヴェーバーの病気について私が気にしておきたい2つ目の理由は、この病は──もちろんヴェーバーの生活史の中で起きていることですが──よく見ると個人的な問題ではない、ということにあります。
問題は、19世紀の終わりから20世紀初頭という時期です。この時期は、ヨーロッパやアメリカで、多くの芸術家や知性が同じような症状に苦しんでいます。つまり、これは「憂鬱の時代」なのです。
例を挙げればきりがないのですが、たとえば、ヴェーバーより年上で、『ボヴァリー夫人』を書いたフロベール。この人は鬱病や癲癇があったことでよく知られています。
あるいは、『トム・ソーヤーの冒険』のマーク・トウェイン。彼は明るい小説、冒険譚で有名ですが、晩年は、人間憎悪の塊のようなものを書くようになっています。
あるいは、比較的楽天的だと思われている文学者としてトルストイがいます。トルストイは世紀末になると『懺悔』という小説を書いて、それ以降、どんどんどんどん暗いものを書くようになります。
あるいはイプセン。彼は、最初は虐げられた人たちのための作品を書いていますが、やがて低俗な大衆に嫌気がさし、失望する。
マラルメもいます。彼は理想を追求することの不可能性の認識から、いまで言えば心身症とでも診断されるような症状をともなう虚無主義に陥る。
他にもいくらでも例を挙げることができますが、もう1人だけ、憂鬱の群像の例を挙げれば、やはり『パリの憂鬱』のボードレールでしょう。ボードレールは、19世紀後半のパリが何か憂鬱の空気に包まれているということを詩にしました。
とにかく、19世紀の後半から20世紀の初頭にかけて、時代の感情の色が鬱なのです。「鬱の時代」と言っていい。もちろんヴェーバーが病気になったことには個人的な理由があるのですが、少し広い目で見ると、時代の現象なのです。
この時代はどういうわけか、ある種の感受性や知性をもっている人が、憂鬱になりやすい時代です。だから、ヴェーバーは言わば「時代の病をその時代らしくひき受けている」わけです。
典型的なフロイト的症状
ヴェーバーが33歳の時になぜ急に病気になったのかについては、ある程度のことはわかっています。ヴェーバーの奥さんのマリアンネが評伝を書いていて、これがヴェーバーの伝記としては標準的ということになっています。
奥さんが書いているのでちょっとバイアスがかかっているのではないかとも言われますが、私生活のことは詳しく書いてあります。それを読むと、何が病気の引き金になったのか、それがほんとうの原因かどうかは別として、はっきりわかっているのです。
それは一見、きわめてプライベートな理由です。家族にかかわるプライベートな理由なのです。同時に、そのプライベートなことが、時代の中できわめて一般性があるということもわかってきます。
それはどういうことか。ヴェーバーとほぼ同時代の人にフロイト(Sigmund Freud,1856─1939)がいます。ヴェーバーよりも8歳年上です。フロイトについても、私は後で、社会学者として紹介します。フロイトを社会学者に入れておかないと、社会学は非常に貧困なものになってしまいますから。
それで結論的に言うと、ヴェーバーの神経症は、精神分析の教科書に載せてもいいのではないかと思うほど、典型的なフロイト的症状なのです。つまり、エディプス・コンプレックスの典型例です。こんなにうまくはまっていいの? というぐらい極端な典型例なのです。
フロイトはヴェーバー以上に独創的な説をたくさん出して、説がしょっちゅう変わるので、お前の考えはどれなのかと言いたくなるような人ですけれども、彼は臨床をしながら、人間の心の構造についてあれこれ考えている。
フロイト自身は、人間の心の構造についての一般理論・普遍理論を書いているつもりでいるのですが、やはり、フロイトの理論自体を社会的に相対化して見なければいけない。
つまりそれは、19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけての、狭く見ればウィーンですけれど、もう少し広く見れば西洋に特徴的な心の構造になっているのです。
つまり、フロイトがどういうふうに心を理解したのかということ自体が、1つの時代というものを物語っている。
フロイトが描き出したエディプス・コンプレックスの典型例のような状況で、マックス・ヴェーバーは神経症になっています。ついでに言うと、フロイト自身が、マックス・ヴェーバーとよく似たようなエディプス・コンプレックス状況にあります。
いずれにしても、フロイトもヴェーバーもある意味で時代の典型である、と考えることができます。
(以下、後編へ続く!⇒起きそうもないことが起きてしまう、この社会ってなに?)