ある社会学者が、急に重い鬱病を発症してから偉大な仕事をした理由

典型的なフロイト的症状をひき受けて
大澤 真幸 プロフィール

たとえば、自然科学系のものは直進するわけです。前の説があって、それを捨てて新しい説がある。だから、過去にすでに捨てられた説についてわざわざ知らなくても──たとえばアリストテレスが運動についてどういうふうに考えたかを知らなくても──、一流の物理学者になることができる。

それに対して「反復するタイプ」では、同じ問題に何度も何度も回帰します。だから、プラトンが考えたことを現在のわれわれも考える。それで、哲学ができるという構造になっています。

こういう2種類の学問があって、社会学はどちらに属するか。社会学の場合は、両面あります。

われわれがいま生きている社会は、広い意味での近代社会なので、社会学が生まれた時と基本的には同じロジックで動いています。

だから、最初の社会学者の中で優れた洞察力をもって根本を見抜いた人のアイデアは、今日、われわれがそれを再検討しても十分に意味があります。ですから、社会学史は今日のわれわれにとって非常に有意味であるということで、これからお話ししたいと思います。

社会学史の三つの山

ふつうならここで「それでは始めます」となるはずですが、もう少しだけ前置き的な話をしておきます。

これから必ず出てくる、ある社会学者の精神的な病気についてです。その人がその病気になったことは非常に有名なので、ちょっと勉強した人はみんな知っています。今風に言うと鬱病ですが、本にはだいたい神経症と書いてあります。

 

この人は社会学の歴史の真ん中ぐらいで登場する。誰かといえば、マックス・ヴェーバー(Max Weber,1864─1920)です。

社会学の歴史を振り返ると、大きく3つの山があります。まず、19世紀の誕生前後に1つ。次に、19世紀から20世紀への世紀転換期、第1次世界大戦の直前ぐらいに大きな山があります。それから最後の山が、第2次大戦後、特に1960年代以降の現在にまで至る流れです。

その3つの山の中でも一番華々しく、最も目立つのは二番目の山です。この時期に活躍した社会学者たちが、クオリティにおいても量的にも最も優れています。

実は、これは社会学だけではない。考えてみると、すべての学問がそうなっているのです。

まず哲学がそうです。ハイデガー(Martin Heidegger,1889─1976)などが出てくるのが第1次世界大戦と第2次世界大戦のちょうど中間ぐらい。その後にもたくさんの哲学者が出てきたし、読まれてもいるけれど、200年ぐらいの距離を置いてみれば、ハイデガーより偉大な人は出ていないと思います。

だから、哲学の歴史を見ても、第1次世界大戦前後が1つのピークになっている。

自然科学もそうです。これは以前、『量子の社会哲学』という本で書いたことですが、物理学が本当の意味でのブレイクスルーをしたのが、まさに1900年代の初頭から第1次世界大戦前後なのです。

社会学だけではなくて、多くの学問が19世紀の末から20世紀の初頭に大きな転換期というか、ピークを迎えている。ロウソクが消える前と言ったら言い過ぎかもしれないけれど、猛烈に燃え盛る時期なんですね。

社会学もそうです。その燃え盛った社会学者の中でも一番の大物がマックス・ヴェーバーです。

フロベール、イプセン、ボードレールも

マックス・ヴェーバーは1864年に生まれました。彼は1897年、33歳の夏の終わりに、急に重い鬱病(神経症)を発症した。

この年は、ヴェーバーにとっては人生の絶頂期になりかけていた時期でもありました。というのも、その年の春にハイデルベルク大学に就職しました。ヨーロッパの名門大学です。

私も数年前にハイデルベルク大学を見てきましたが、大学だけの街ですね。そこの哲学部の教授に就いたばかりでした。

その前はフライブルク大学というところで教えていて、そっちもまあまあの大学ですが、フライブルクというのは超田舎ですから、フランクフルトのすぐ近くのハイデルベルクに出てきて、ヴェーバーとしては、まさにこれからだ、という状況だった。

それなのに、間もなく彼は重い鬱病になってしまった。

それで大学を休む。すると少しだけ良くなるので復帰すると、また病気が重くなる。仕方がないからまた休む。その繰り返しで、だんだん病気が重くなっていく。

これはもう無理だということになって、ついに1899年から1900年にかけての冬学期に、ヴェーバーは大学に辞表を出します。しかし、ヴェーバーは優秀でしたし、看板教授でしたから、大学側も最初は慰留しました。

しかし、だんだん病気が重くなっていって、1903年、大学のほうもあきらめた。ヴェーバーは、39歳のとき、大学を退職します。名目上のポジションは持っていましたが、給料もないですね。

以降、ヴェーバーは、最晩年にウィーン大学やベルリン大学の教壇に立ったことを別にすればほぼ一生、大学の外で研究し、活動いたしました。

なぜここでヴェーバーの神経症についてお話ししているか。2つ理由があります。

第1に、ヴェーバーの個人史に関する次のようなことがあるのです。ヴェーバーはエリートとして33歳の若さでハイデルベルク大学の教授になって、これからという時に病気になって、大学の教壇に立つことができなくなったわけだから、ふつうに考えればこれでおしまいです。知的な活動はもうできない。

「残念でしたね、あの人は優秀だったのに……」と言われるところです。

しかし実際には、ヴェーバーのほんとうに偉大な仕事は、ほとんど全部、神経症になった後に書かれているのです。