photo by iStock
# 社会学 # 哲学

ある社会学者が、急に重い鬱病を発症してから偉大な仕事をした理由

典型的なフロイト的症状をひき受けて

講談社現代新書の通巻2500番として、3月18日から発売される、大澤真幸著『社会学史』。このたび、その序文を本日と明日、前・後編に分けて特別先行公開する。アリストテレスから、パスカル、マルクス、ヴェーバー、フロイトフーコーらを経てメイヤスーまで――偉大な知の営みが次々とあなたの頭に染み込んでいく、本物の教養体験をここから始めよう!

自己意識の一つの表現

これから社会学の歴史について話していきます。社会学は、数ある学問の中では新しい学問です。歴史は非常に短い。

 

もちろん、「いつから社会学が始まったのか」というのは難しい問題ですが、大雑把に言えば19世紀なので、まだ200年ぐらいの歴史しかありません。

たとえば、哲学とは比ぶべくもないし、あるいは物理学の始まりをどこと見るかにもよりますが、仮に科学革命からだとしても、物理学のほうがずっと古い。

歴史が浅いことには理由があります。たまたま誕生が遅かったわけではないのです。

先取りして、私の言葉でポイントを言えば、社会学は、「近代社会の自己意識の一つの表現」なのです。

近代社会というものの特徴は、比喩的な言い方をすれば、「自己意識をもつ社会」です。自分が何であるか、自分はどこへ向かっているのか、自分はどこから来たのか。それが正しい認識かどうかはわかりませんが、近代社会とはこういう自己意識をもつ社会です。

その自己意識の一つの表現が、広く見れば社会科学、その中でも社会学という学問なのです。だから、自己意識をもつ社会の中にしか、社会学は生まれません。それ以前の社会には──社会学的なものにつながりうる思考のパターンはありますが──社会学はないのです。

そういう意味で、社会学の歴史が短いのは、たまたま何かの発見が遅かったからではなくて、いわば社会学的な理由があるのです。

社会学自身が社会現象

少し『社会学史』の序文っぽいことを言っておきます。

これから話すのは、いわば「社会学の内部から社会学の歴史を書く」という方法です。

どんな学問にも歴史があります。だからたいていは、初めに○○史というのを勉強するでしょう。しかし、社会学の歴史は、他の学問の歴史とは違った性格をもっています。

社会学が、今日の目で見て社会学らしい社会学になるのは19世紀のことです。「近代」というのは曖昧な言葉ですが、とにかく近代社会がある程度成熟しないと、つまり産業革命やフランス革命を経て、かなり今風の社会にならないと社会学は出てこない。なぜならば、社会学自身が社会現象だからです。

つまり、社会現象を説明するのが社会学だとすれば、社会学そのものも社会学の対象になる。したがって、社会学の歴史は、それ自体が一つの社会学になるのです。

たとえば、生物学の歴史を書いたとしましょう。知的には十分興味深いものになると思いますが、生物学の歴史を知っていることと、生物学それ自体とは別のものです。

あるいは、より社会学に近い学問で、たとえば経済学の歴史を書いたとすると、経済学の歴史自体は経済学ではありません。しかし、社会学の歴史はそれ自体が社会学になる。そこに社会学という学問の特徴があるわけです。

「直進する学問」「反復する学問」

学問には2種類あります。

たとえば、いま生物学の歴史を挙げました。生物学の歴史も重要だし、おもしろいと思います。しかし、生物学をやるのに生物学の歴史を知らなくてもいい。

もちろん、ダーウィンの進化論とか、いまでも生きている学説は知らなければいけません。しかし、200年も300年も前の学説を知らなくても生物学はできます。物理学はもっとそうです。だから、歴史についての研究と生物学や物理学は完全に別の話になる。

逆の学問もあります。典型は哲学です。哲学というのは──ジャンルにもよりますし、分析哲学系の人にとってはやや違いますけれど──、基本的には哲学即哲学史なのです。哲学史と哲学が別にあるわけではない。

そのような哲学をやった一番典型的な学者はハイデガーです。彼の哲学はすべて哲学史。もっと新しいドゥルーズやデリダにしても、みんな哲学史です。たとえば「スピノザについて論じる」というかたちで、自分の説を語っているわけです。

だから、歴史について論じることがその学問そのものになるものと、その学問そのものは歴史とは別物になるものと、2種類の学問があると言えます。

どうしてそういう違いが出るのかを考えるとけっこうおもしろいのですが、ここでは簡単に言っておくと、学問には「直進するタイプ」と「反復するタイプ(螺旋状に反復しながら進むタイプ)」があるような気がします。