日本が「都合のいい外国人」を求め続けてきた30年を振り返る

Session-22✖️現代ビジネス
荻上 チキ, 山口 元一

外国人と日本人が交流できない仕組み

チキ 時間を少し遡りましょう。前述の通り、1990年代、入管法が改正され、ルーツ探しという名目の下ですが、結果として日系の外国人労働者を受け入れることになりました。そのときに日本社会にはどういった変化があったんでしょうか。

山口 日系人とその家族は、ルーツ探し、親族交流という名目で入ってきたので、日本政府は、定住化のための施策などをまったく用意しませんでした。言葉の通じない国に、10万人単位で労働者が入ってくるとなると、当然、仕事を探すことも、家を探すことも、ゴミ捨てなど日常のことだってキチンとできない。

そもそも、当局に在留資格を取得するための書類を提出することすら彼らは独力ではままならないわけです。そのギャップを埋める存在として人材派遣業者が大活躍した。それが日系人受け入れの初期の段階に起きたことですね。

チキ そうした派遣ビジネスのルーツの一つに、日系人に関わるビジネスがあるわけですね。

山口 そうですね。日本の法律で製造業への人材派遣を解禁したのが2004年で、いわゆる偽装請負などが問題になったのが2006年くらいなんですけど、それより前から日系人は、脱法的なルートで安価な労働力として日本の労働市場に放り込まれていました。

チキ 日本にやってきた日系人に対して、市民社会や、それを映し出すメディアからの反応はいかがでしたか。

山口 首都大学の丹野清人教授らの2005年の著書、『顔の見えない定住化』という本が参考になります。今言ったような「人材派遣業者による丸抱え」で入国して、仕事も住むところも全部彼らが管理することになっていたり、工場のラインで働く全員がブラジル人といったような状況ですので、日本人との接点が十分に保てないままでした。

受け入れが始まったばかりの頃は、人材派遣業者経由の間接的な雇用ばかりでは彼らの社会的な地位が安定しないし、日本社会への定着もスムーズにいかない、という問題意識から、直接雇用をしよう、人材派遣業者まかせでない就労システムを作ろうといった動きも、外国人を多数受け入れている自治体や地元の商工会議所の中には一部にありました。

しかし、デフレが長い間続いて、より安い労働力を求める圧力が強かったため、残念ながら、直接雇用して地域の住民としてライフプランを描いてもらうという方向にはなかなかならなかった。

 

技能実習制度の問題点

チキ これまでの話の大部分は1990年に入管法が改正されて日系人の大幅受け入れがあった後のことです。続いて、1993年に技能実習制度がつくられます。

1993年 技能実習制度の創設
現在の制度とは違う雇用制度の内容とは

チキ さて、バブル直後、人材不足という背景もあり、日系人をまず入れることになりました。その3年後、今度は「技能実習制度」がつくられますが、どうしてこの制度を整備することになったんでしょうか。

山口 この技能実習制度が始まる前、1990年には在留資格「研修」という制度がつくられていました。研修のために外国人が来日する制度自体は1981年以来あったのですが、1990年の入管法改正で日系人受け入れが決まったのと同じ時期に、在留資格「研修」が規定されました。

これは、国際貢献を名目とする制度で、日本で1年間研修をして本国に帰るというものでした。日本で技能を学んで本国で活かしてもらうという考え方です。

しかし、1993年に技能実習制度が創設されます。これは、それまでの制度では1年間の座学中心の「研修」が修了した後に帰国していたのですが、さらなるスキルアップを目指すという意味で、企業で実務に就いてもらおうというものでした。

当初、研修と技能実習と合計して最長で2年間とされていましたが、1997年には最長で3年に延長されます。

1993年の技能実習制度創設当時、すでに国際貢献を口実にして最低賃金以下でこき使おうつもりだったのか、それは当時の資料をよく検証してみないと分からないところもありますが、少なくとも制度創設からしばらく経った頃には建前とはかけ離れた制度として運用されるようになっていたことは事実です。