人間の孤独を大前提に、
小説を書くということ

デビュー小説『わたくし率 イン 歯ー、または世界』では、「自分がただの言葉になったような感覚を追求していた」彼女が、女性という身体を意識した『乳と卵』を執筆。そして、出産ぎりぎりまで書いていたという小説が『愛の夢とか』(注1)。決して特別ではない、いろいろなレイヤーの孤独な人たちが主人公となる物語だ。

注1『愛の夢とか』
出産前に執筆した初の短編集の文庫化。隣から聞こえてくるピアノの音に惹かれた主婦の「わたし」と隣人主婦との奇妙な交流を描いた表題作をはじめ、何気ないありふれた日常の延長線上から、孤独な者同士が一瞬だけすれ違ったり、惹かれあう夢現つの時間や景色を紡ぎだす短編7篇を収録。第49回谷崎潤一郎賞を受賞。¥550/講談社文庫

「私は孤独じゃない、心の底から幸せだと思っている人でも、やっぱり孤独はあるんです。誰も自分の代わりには死んでくれないし、自分の身体を生きてくれる人はいないから。小説を書くときに、その孤独は大前提にありますね。だからこそ私たちは、人と気持ちが通じ合うことがあると、涙が出るほど嬉しくなったり、子どもを作ってみたりするんだと思います」

7年前、『六つの星星―川上未映子対話集』(注2)収録の精神科医・斎藤環さんとの対談で「十年くらい真剣にやって、型を覚えて取り組むことができれば、そうしたら文章を書く必要がなくなったりもするんじゃないかな」と言っていた川上さんは、10年後の自分をどう見ているのだろう。

注2『六つの星星―川上未映子対話集』
第一線で活躍する六人と、精神分析、生物学、文学、哲学をめぐって、好奇心のままに語りつくす対話集。飛び交う対話から、著者のユーモラスな人柄や思考の原点、軌跡までが浮かび上がってくる。対談ゲストは、精神科医・斎藤環、生物学者・福岡伸一、作家・松浦理英子、歌人・穂村弘、作家・多和田葉子、哲学者・永井均。¥533/文春文庫

「当時はね、社会よりも自分と表現の世界だけにいたから、そういうふうに思っていたのかな。でもあのとき斎藤さんは『未映子が戦うのはジェンダーだよ』と予見されていましたね。男性は社会のOS、女性は未だアプリでしかない――そんな構造を知れば、そこを避けることはできませんよね。女に生まれてこなければこんな目に遭わなかったのに、と思うことは無数にあるけど、私は男に生まれたかったと思ったことは一度もありません。搾取される側の者にしか見えないものは確実にあって、それを言葉にすることが必要なんです。そしてそれは、性別を超えた、人間としての問題です。

でも小説は技術だから、アスリートみたいに毎日鍛錬しないといけない。だから10年後はさらに仕事をしていて、技術もちゃんと追いついている、という場所にいたいですね。それが、私の100年足らずの人生の中で与えられた仕事かな」

自分自身も、書くことも、興味の対象も、人との関係も、変わっていくことへの抵抗はない。むしろ、そうじゃないとおかしいと彼女は信じている。

「私たちには、人生は一度きりというすごいルールがあって、二回目があれば、人間の認識は変わるはず。でも一度しかない。こんなふうに傷つけたり傷つけられたり、泣いたり笑ったり、出会ったり失ったりということがいつか終わってしまう、でも今を生きる私は今しかないというのがやっぱり不思議です。小説というのは人間が人間に向けて書くものなんです。でも詩は言葉の神様みたいなものに向かって書く、祈りみたいなものだと思っていて。最終的には、ぱっと誰かを想像したときに浮かぶ、ひとひらのイマージュのようなものが残せたらと思っています」