真新しいだけが価値ではないよと、移り気な時代にそっと句読点を打つ、そんな食卓のおいしくて愛おしかったこと。
「キムチ、手の味、おかわりしなね。」
たっぷりのお湯で白い麺(カルクッス)がおどってる。あつあつの蒸気をまとって餃子(マンドゥ)が蒸しあがる。どんぶりにざばあっと出汁が注がれれば世界がうるおって、ふんわりいりこの匂いが漂う。
アラームじゃなくてこの匂いで起きたいなあ。湯気が、蒸気が、白く香るソフトフォーカスの朝、@食堂チャニャンチプ。
うっとりしているだけの無能な私を横目に6人くらいのおばちゃん(というよりとびきり可憐な少女の残像)が、わしわしと餃子を包み、麺を打ち、キムチを仕込んでいる。
女総出の手作り大会。ハードな作業量だろうに、その正確な手仕事は鼻歌まじりでやけにごきげん。働くって楽しいことなのよ。 ムール貝、あさり、いりこでお出汁をとった海のうまみの海鮮カルックス。いりこの香りはずるいよ。実家のお味噌汁を思い出して心がパカーって開いちゃう。
チャニャンチプ
AREA:鍾路3街
鍾路区敦化門路11ダキル5
☎02-743-1384
営業時間:10:00~21:00
定休日:日・旧正月・旧盆
ヘムルカルクッス(海鮮手打ちうどん)5500W
マンドゥ(お肉とキムチの2種類)各6000W
韓国には食べものを明確に「手の味」と「舌の味」に分ける考え方があるらしい。
「舌の味」は食べ物と味蕾(みらい)の単純な接触で、工場で作り出せる安っぽく単一の風味はその仲間。
「手の味」は、それを作った人の気持ちや愛情まで刻み込まれた、はるかに複雑な食の経験。
「キムチを手作りしなかったら恥ずかしくて店も開けられないわ」。そう言ったのはイジョポッサムの女店主・チョンヘオクさん。 キムチも最高だけど豚も豚でどうしてこんなにぷるんとしとるのか! と店主に迫ると、茹で置き禁止&ハンジョンサル(首の内側の希少部位)も使うからかしらねー、とのあっぱれ解答でした。
ポッサムはぷるんとした茹で豚にキムチを添えた……いや添えるんじゃなくって、豚と同じくらいキムチが主役のお料理。だからその味は店の生命線で、店員さんにもレシピは秘密。
1日30束の白菜との格闘(仕込み)をすべてチョンさんひとりでやってのけるそう。トロピカルに甘い彼女のキムチは他のどのお店とも違っていたし、そもそもこの旅で出会ったキムチに同じ味なんてひとつもなかった。
キムはキムじゃんと思っていた頃の浅はか舌を呪いたい。誰がどんな風にどんな思いでこしらえたのか。胃袋を紅く染める一口一口が、作り手の心の影をしっかり伴って、だからこそ味は生きているんだと、教えてもらった気がした。
イジョ・ポッサム
AREA:堂山洞
永登浦区堂山路244
☎02-2671-3257
営業時間:11:30~22:00
本店定休日:日
新館定休日:なし
ポッサム盛り合わせ 中28000W、大 35000W
ポッサム定食(ランチメニュー)8000W
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PROFILE
平野紗季子 Sakiko Hirano
フードエッセイスト。1991年生まれ。小学生から食日記をつけ続ける生粋のごはん狂。
●情報は、FRaU2017年7月号発売時点のものです。
文・平野紗季子 Photo:Koichi Tanoue Coordination:Jung Ja-Kyung