在りし日の東京にタイムトリップするモダン建築探訪vol.2/山内マリコが旅する東京

高層ビルの間に静かに佇むプチホテル。深い緑に守られた古き良き文化サロン。小説家の山内マリコさんが目指したのは、東京に残る、大正や昭和のモダン建築。

そこには、歳月の分だけ物語があり、建物を愛した人たちの思いが刻まれていました。積み重ねられた歴史に触れたとき、大都市の知らない顔が見えてきます。

 
▼最初から読む!

ライトの建築を訪ねるのも
東京だから叶うこと

大地に張り付くような低層の建築は、ライトの故郷、ウィスコンシン州の大草原から着想を得たもの。

続いて、山内さんのリクエストで向かったのは西池袋。ずっと見てみたかった建築があるのだという。静かな住宅地を進むと桜並木が見えてきた。そして、なんの前触れもなく現れた緑の屋根の校舎。1921年に創立された自由学園明日館だ。アメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトが日本に残した数少ない現存する建築のひとつである。
 

 

学園の入り口。小さな門扉を押して入る。

「わぁ……」と小さく息を呑み、「こんなに突然、現れるんですね」と嬉しそうに建物に近づく山内さん。門はあるが、大人の胸の高さ程度で、人を拒む雰囲気は微塵もない。左右対称のコの字型の建物が芝生の広場を囲み、大谷石の通路を歩いていくと、いつの間にか室内に導かれている。「内外の境界が曖昧なのもライトの建築らしさです」。そう解説してくれたのは、広報担当の吉川紗恵さん。さっそく建築の話が始まった。

「自由学園を創立したのは羽仁吉一、もと子夫妻。文部省(当時)の管理下にない、新しい教育のあり方を目指した二人は、知り合いだった建築家の遠藤新に校舎の設計を依頼します。ところが遠藤さんは、それなら僕の師匠に頼むほうがいいと、帝国ホテルの設計のために来日していたライトを紹介するんです。夫妻とライトはすぐ意気投合し、数ヶ月後には基本プランが仕上がりました」
 

それからは急ピッチで工事が進み、なんとか開校前に小さな教室ひとつをつくり、そこで入学式を行った。その後、4年半かけて校舎は完成するのだが、帝国ホテルの仕事を事実上解任されてしまったライトは、校舎の完成には立ち会っていない。しかし、そうとは思えないほど自由学園明日館は、ライトらしさに溢れている。

幾何学的な意匠の照明、ダイナミックな空間構成、“プレーリースタイル” と呼ばれる地を這うような校舎のシルエット。子供騙しなんてどこにもない。世界的建築家がこの小さな空間に捧げた情熱が今も、静かに燃えているようだ。

ホールを見下ろす中2階に上った山内さんは、「この、空間を俯瞰している感じがワクワクします」と無邪気に笑う。かつて、同じように中2階にときめきながら、この校舎で学び、育った女の子たちの姿がふと見えた気がした。
 

 

修理によって姿を現したホールの壁画。『見よ、火の柱、雲の柱…』という旧約聖書出エジプト記を題材とした学園の校歌をテーマに、女学生たちが描いたもの。

ホールに下りた山内さんは、一枚の壁画に目を止めた。人々が列をなして地平線を目指す姿は、宗教画のような荘厳な空気を漂わせている。「あの絵は、一度は壁に塗り込められていたんですよ」と吉川さん。戦時中、キリスト教的なものは厳しく罰せられ、それを恐れてか、この絵は塗りつぶされてしまう。それが見つかったのは1999年から約3年かけて行われた修理工事でのことだ。

修理では他にも、元の姿に戻った部分がある。例えば、正面の幾何学模様のガラス窓も長い年月で手が加えられていたが、修理時にオリジナルデザインに戻された。築80年を迎えようとしていた校舎は、そうやって息を吹き返したのだ。
 

ホールでは手作りクッキーが味わえる。

「だから私も、こうして訪れることができるわけで。建築を残すことに尽力された方々に感謝の気持ちしかない」と山内さん。ひとつの建物が辿った歴史を振り返っていくと、今、こうして目の前にあることが奇跡に思えてくる。そんな時間だった。

自由学園明日館
1921年竣工。学校として使われていた期間は13年程。その後は卒業生の活動の場として使われた。
東京都豊島区西池袋2-31-3
☎03-3971-7535

▼次ページはコチラ!

PROFILE

山内マリコ Mariko Yamauchi
1980年富山県生まれ。女性のリアルな感覚を小説、エッセイで発表。代表作に『アズミ・ハルコは行方不明』など。新刊は男性の生き辛さを描き、新境地を開いた『選んだ孤独はよい孤独』。

 
●情報は、2018年10月現在のものです。
Photo:Norio Kidera Text:Yuka Uchida

▼こちらの記事もチェック!