正しい情報は邪魔? 8年経っても「福島の風評払拭」が難しい背景

「危険と不安」に偏る報道は消えない
林 智裕 プロフィール

被曝は「遺伝しない」のに…

最後にもう一つ参照するのは、放射線による健康影響についての認識をより直接的に質問した結果です。

三菱総研調査資料より

この設問には「正答」が存在します。いうまでもなく、福島第一原発事故由来の放射性物質によるがんの発症など、直接の健康障害は現時点においても発生していませんし、また放射線に関するこれまでの研究の中で、被曝が世代を超えて人の健康に影響するという見解は否定されています。

つまりいずれの設問も、正しい答えは「可能性は極めて低い」です。事実上「ない」と断言しても差し支えありません。

ところが調査結果を見ると、「可能性がやや高い」「可能性が非常に高い」が半数近くにのぼっているばかりでなく、「可能性が低い」とは思いつつも「もしかすると」と考える人の割合もかなり多いことがわかります。

これは、「超長期的には、放射線による健康へのリスクが存在するかもしれない(≒福島での放射線の影響は、まだ完全にはわからない)」と考えている人が少なくないことの証ともといえるでしょう。これほどまでに、多くの方が誤解しているのです。

 

上記の調査結果を総合すると、

「想定している可能性の大小や、何をリスク要因と考えるかにはグラデーションがあるものの、総じてみると『福島では放射線被曝によって今後なんらかの健康被害が起こる可能性が残っている』と考える人が多数を占めており、『起こる可能性のほうが高い』と考える人の割合も、全体の過半数にのぼる」

ということがわかります。

太平洋戦争末期の2度にわたる原爆投下、そして福島第一原発事故という世界に類を見ない経験を経ても、日本社会においては、放射線に関する基本的な知識がいまだに共有されていないといえるでしょう。「正しい情報」は、実際にはこんなにも伝わっていないのです。

放射能は、消えない「穢れ」なのか?

戦後のわが国では、「世界で唯一の被爆国」であることがアイデンティティの一部を形作ってきたといえます。しかし、核兵器の恐ろしさを伝える際に強調される「爆発や放射線被曝がもたらす被害の悲惨さ」があまりにも衝撃的であるために、核兵器だけにとどまらず、「放射能」という目に見えないものへの恐怖やタブー感が突出してしまった面もあるのではないか、と感じます。

もちろん、核兵器はとても恐ろしいものであり、その行使は肯定されるべきではありません。一方で、核兵器がもたらした被害は爆発や放射線被曝による殺傷だけに留まりませんでした。その後の被曝者に対する偏見、「ピカがうつる」といった心無い言葉や差別といった二次被害もまた、恐ろしい被害の一つであったはずです。

そして、そのような被害は皮肉にも、放射能や被曝の悲惨さ・恐ろしさをより強く、より多くの人に伝えようとするほど、大きくなってゆくというジレンマがあります。核兵器の悲惨さを語ると同時に、科学的な知識に基づき、被害者への偏見や差別を打ち消す努力をすることしか、これを防ぐ道はありません。

ところが東電福島第一原発事故後に判明したことは、国内外の少なからぬメディアが、福島をわざわざ「フクシマ」と象徴的に表記してまで、「未来永劫にわたり汚染された土地」「被曝し、悲惨な健康被害に苛まれる住民」というセンセーショナルな「偶像」を求めてやまない、ということでした。

放射性物質を、決して取り去ることのできない「穢れ」であるかのように扱い、科学的な知見によって「その影響を正しく解きあかそうとすること」すらタブー視する……そうした無知と無理解の正当化が、冒頭で述べたような偏見による二次被害をより深刻にしてきました。原爆がもたらした教訓が、原発事故で十分に生かされることはありませんでした。

一例を挙げると、たとえば震災から6年半も経った2017年8月6日にテレビ朝日が放送した番組には、予告時点で『ビキニ事件63年目の真実~フクシマの未来予想図』というタイトルが付けられていました(詳しくは筆者による2017年8月10日の記事「大炎上したテレビ朝日「ビキニ事件とフクシマ」番組を冷静に検証する」を参照ください)。

テレビ朝日のサイトより(現在は改題)

関連記事