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なぜ私たちは「このような形」なのか…進化発生学でわかる進化の謎

「進化する形」はじめに

たくさんの生物がいる不思議

世界には、なぜこれほどさまざまな生物がいるのだろう。生物進化の考えがなかった頃から人間は動植物の多様な姿に目を見張り、その経験をもとに自然観を醸成させてきた。

我々の自然に対する感性も、自然観の変遷の歴史と、それを突き動かしてきた学問の流れの中に位置している。

 

多様性が進化の産物だということは誰もが認めている。が、それははたしてどのような経緯だったのだろう。原始的な単細胞生物が集まって多細胞となったとしても、それだけで動物の形ができるわけではない。

タイプにしたがって細胞が整然と配列し、それによって動物の体がメリハリのついたパターンを備えるには、大きな進化のステップをいくつか経る必要があった。

生物学がこれだけ発展した現在でも、生物進化の機構がすっかり解明されているわけではない。ダーウィンの自然選択説や、木村資生の中立説で説明できることも多いが、それで生物進化のすべてが説明できるかについては、研究者のあいだでもいまなお見解の相違がある。

一方で、生物の具体的な系統的変化の系列、つまり、系統進化の歴史については、遺伝子の比較や多くの化石記録を通じ、かなり正確な描像が得られるようになってきた。それでもやはり進化がわかった気がしないという向きは多いだろう。

本書は「生物の形が変わるとは、どういうことか」に的を絞って考察し、生物進化の実感を得る目的で書かれている。

野外で見かける昆虫や鳥、動物園や水族館で出会う動物の奇抜な形を見て、かれらがみな同じ祖先を共有していると納得するために書かれている。生物の適応を賛美するような「生物進化のお話」にはならない。

むしろ、わかりにくい解剖学や発生学の話をふんだんに盛り込んでいる。それをできるだけ平易にわかりやすく表現しようと試みたのが本書だ。

進化の謎を解く方法

発生学とはもちろん、「卵がいかにして親になるのか」を扱う分野だ。20世紀の後半に、実験発生学が本格化し、さらに分子生物学と遺伝学の技術が参入するにおよび、個々の遺伝子がどのように体を作ってゆくのか、次第に明らかになってきたことをご存じの読者も多いと思う。

これを応用すれば、進化の仕組みもわかるのではないかと考える向きも多いだろう。研究者の思いもあまり変わるところはない。が、じっさいは、とてもそのようなところまでは到達していないというのが現状だ。

対象とする細胞や生物の実体があまりに複雑すぎ、理解が追いつかないのだ。個々の分子や遺伝子の挙動が理解できても、あるいは遺伝子や分子を含んだ個々の細胞がどのようにふるまうか理解できたとしても、動物の形がどのように進化するのか、すべて説明できるような段階までには達しない。

ここには、自然現象の理解を拒む一般的な問題が潜んでいる。つまり、還元主義的に小さな事物に分け入ってゆき、現象の根本となっている基本的原理を掴んだところで、それを再構成して大きな現象がわかることにはならない、ということだ。

大気を構成する分子ひとつひとつの運動を正確に記述しても明日の天気が予測できないように、現象の個々のステップが理解できても、システム全体の理解には繫がらない。生物進化と遺伝子の問題もこれとよく似ている。

還元主義がだめなら、構造主義はどうか。現象のレベルを下りてゆくのとは逆に、目に見える事物の中に潜む関係を重視する考え方だ。

ちょうど、星と星の繋がりから「星座」が浮かび上がるように。星座を構成する星々の関係のあり方がいわば「構造」である。星々の位置は宇宙の年齢にしたがって徐々に変化するだろうが、構造そのものは一定期間は変化しない。したがって星座はつねに同定でき、未来の星座の姿も正しく予想できる。

ならば、進化の理解もパターンの把握を通じて行ったらどうか。科学は、この還元主義と構造主義の両者を適宜、使い回すことによって進歩してきた。

生物学の歴史は長い。進化論以前の観念形態学においては、「どのような基本型を想定すれば、すべてが説明できるのか」が模範的な問いとなっていた。これも構造主義的方法のひとつ、いや、これこそが構造主義を生み出したものの正体だ。

このアプローチはしかし、進化史という足場を持たないまま、動物形態のパターンを徒に抽象化し続けてきた。なにより、その原型的パターンそれ自体がどこから出てきたのかという問題や、その進化的な変形のしくみを扱えなかったことが、ついぞ科学になりきれなかった古典形態学の限界だった。

問題とすべきは、「進化の時間軸の上で序列を成しつつ変化、追加、消失し、その結果としてさまざまなタクサ(分類群)を作り出してゆく変形の過程」である。

決して、観念論が感知したような「意味深長なある一点としての原型」や、「そこからすべてを導き出せるような、意義深いパターン」のような架空の概念で満足すべきではない。

20世紀から21世紀にかけて発生生物学を席巻した分子遺伝学は、一貫して還元主義に偏重した嫌いがあった。が、表現型の変化を説明するために構造主義的発想を応用することも多かった。

生物学における構造主義的な分野の代表が、「比較形態学」である。いまではもうほとんど教えられることがなくなってしまった古いタイプの学問だが、それはどの動物がどういった特徴を持ち、異なったグループの動物とのあいだで、どの器官とどの器官が同じものに由来しているのかといったことを事細かに理解し、それを通じて動物同士の進化的関係を知ることを目的としていた。

同様に、比較発生学はさまざまな動物の発生の仕方を調べ、進化的な類似度や、それらの共通の祖先の存在を推測するためのものだった。19世紀から20世紀初頭にかけて、これらの構造主義的分野は極めて盛んで、進化と発生の研究においては「反復」という理解の図式が核となった。「発生過程は進化を反復する」という考えである。

これがいかに必要以上に理想化されたモデルであったか、それをいまどのように越えてゆくべきかが、本書を貫く目的である。比較する動物の種類によって、さまざまに異なったレベルの共通性が浮かび上がる。

いまにして思えば、それこそが系統進化の歴史を物語っていた。本書で解説する「入れ子式の分類体系」は、時間に沿って進行してきた進化的多様化の、各ステップの序列を反映しているのだ。ここに、反復思想の原点のひとつがある。

そして20世紀終盤、遺伝子レベルでの発生機構の理解がもたらされ、新しい進化生物学の一分野として返り咲いた比較発生学が、1990年代以降の「進化発生学──Evolutionary Developmental Biology(略してエヴォデヴォ)」と呼ばれる分野である。

むろん、その扱う情報の量たるや膨大なものになり、概略を述べることすら簡単ではない。とはいえ、反復を越える思想はまだ生まれていない。古い学問体系に新しいデータを加味したところで、すぐさま革命的事実がわかるわけではない。

むしろ、過去の比較形態学や比較発生学を成立させていた学問思想の歴史を掘り返す作業を通じて、問題がわかりやすくなることもある。その試みの中で、さまざまな概念の内容を吟味し、いまそれをどのように活用できるのかを考察するほうが近道であったりもする。