「影の総理と呼ばれた男」の敗北で遠のいた「日本の平和」

野中広務の生涯と佐藤優との関係
佐藤 優 プロフィール

皮肉な運命

菊池正史氏は、野中氏の政治的最大の功績は、自民党と公明党の連立を成立させたことにあると評価する。

〈今の「安倍一強」の基礎を築いたのはだれだろうか。それは安倍本人ではない。生みの親とも言われている小泉純一郎でもない。皮肉にも、思想信条や政治手法が全く異なる野中であると私は考えている。

公明党との連立を実現したのが野中だからだ。自公連立なくして、自民党の政権掌握はあり得ない。もちろん安倍長期政権もありえない。従って、「安倍一強」の生みの親は野中なのだ〉

評者も同じ見方だ。もっとも自公連立をめぐっては、鈴木氏が野中氏以上に水面下の根回しを行った。鈴木氏の下支えがなければ、野中氏による自公連携は成立しなかったと思う。

小渕政権下で、野中氏は事実上、首相と同程度の政治力を持つに至っていた。2000年4月2日に小渕氏が脳梗塞で倒れ、再起不能になったときも、後継が森喜朗氏になる流れを作る上でも野中氏が重要な役割を果たした。森首相の下で、北方領土交渉が前進した背後にも野中氏の支援があった。

2001年3月に森氏が辞意を固めた後、野中首班の可能性があった。

 

〈野中出馬を強力に進めたもう一人の人物が鈴木宗男である。鈴木は、野中の官房長官時代に官房副長官に起用された。幹事長時代には総務局長として支えた。選挙区調整で平沢(勝栄)らと直接向き合ったのは鈴木である。

鈴木にも、この時のことを取材すると、古賀(誠)と同じように期待感を高めていたことがわかった。

「半年の暫定政権でもいいから頑張ってほしい、とお願いしました。国会議員票で勝てると思った。汗をかいた人を正当に評価する人でした。

世間では怖い人というイメージがあったかもしれませんが、平和の重みを意識し、戦争を二度とさせないという決意を持ち、人情を大切にする。政治家である前に人であることを大事にされていました。総裁になってほしかった。受けてくれるという期待感を一時持ったんですけどね……」〉

野中氏が急速に権力を握ったことに抵抗感を強く示したのが、橋本龍太郎元首相だった。当時、鈴木氏が「橋本さんは、あれだけ野中先生にお世話になっていながら、どうして野中政権が誕生するのを邪魔するのか」と述べていたことが評者の記憶に鮮明に残っている。

左から、野中広務氏、橋本龍太郎元首相、青木幹夫氏(Photo by gettyimages)

〈総裁選の対応を協議した派閥の幹部会で、ある幹部が率直に切り出した。

「うちは最大派閥なんだから、やっぱり自分たちの候補を出そう。橋本さん、あなたが出なよ。野中さんだと派が割れるし」

野中は「それはそうです」と応じ、橋本の擁立が決まった。野中出馬が消えた瞬間だった。野中総理は幻に終わったのである〉

あのとき野中広務政権が成立していたら、鈴木氏は外務大臣か官房長官に就任したであろう。森氏がロシアのプーチン大統領に対して行った秘密提案の延長線上で、歯舞群島と色丹島は2~3年で日本に返還されていた。

かなりの確率で、国後島と択捉島もそれから5~10年くらいで日本に返還されていたと思う。野中政権が幻に終わったことは、北方領土問題解決の観点からも残念だった。

反野中の小泉純一郎氏が首相となり、鈴木氏を敵視する田中真紀子氏が外務大臣になった。そのため、鈴木氏に近い外務官僚とみなされた評者も政争に巻き込まれることになった。

野中政権が成立していたならば、評者が東京地検特捜部に逮捕されることもなかったであろう。もっとも、そうなれば作家・佐藤優も誕生しなかった。

『週刊現代』2019年3月16日号より

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