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死にたくなったら「キッチンを掃除しよう」…哲学と教育の持つ力

苫野先生と「自殺」について考える

哲学は自殺を止められるか?

石井の質問:ショーペンハアーの「自殺について」でずっと気になっていたのですが、「自殺を否定しない」と彼は言っております。これは哲学上、自殺を論理的には否定できないということですか

もう1つ。もし自殺を止めようとしたとき、先生だったら、哲学者としてどうやって説得しますか

 

苫野先生の答え:ショーペンハウアー自身は、もちろん哲学理論上、自殺は否定できないという論法だと思います(彼の哲学は、たぶんに彼の「趣味」に引っ張られる傾向があるように思っていますが)。

哲学的には、自殺は人間の「自由」のための最後の選択肢だと言えます。病気やいじめなどによって自由に生きる(生きたいように生きる)希望が完全に絶たれた時、最後の自由(自己選択・自己決定)の行使として、自殺は認められるだろうと思います。

ですが、いえ、むしろだからこそ、自殺を思いとどまる理由も原理的には1つです。

それは自由の可能性、希望が見つかることです。

キルケゴールは、「気絶した人には水だ、オーデコロンだと言われるが、絶望した人には可能性だ、可能性を持ってこいと言わねばならない」と言っています。

ヘーゲルは、自由の根本条件は「他者からの承認」であると言っています。他者から承認されると、「自分も悪くないかな」「生きていてもいいかな」と思えるのだということです。

なので、私が自殺しようとしている人に声をかけるとするなら、「あなたが必要だ」「あなたという存在を、自分は必要としている」という、全面的な存在承認だろうと思います。