「私たちは今、かつてない体験をしている。
電車に乗れば、アジアのどこかの国の言葉がふと耳に飛びこんでくるし、近くのスーパーでは、大根や豆腐をぶら下げて買物をしている留学生たちをよく見かける。またオフィス街では、日本人の同僚に混じって外国人ビジネスマンが働く光景は、あたりまえとなってきた。
この新しい事態に日本人はとまどっている。これまでこの島国から出ていくことによってしかあまり出会うことのなかった異文化と、いまや、だれもがこの国の中で、日々の生活の場でぶつかりつつあるのだ。しかも、この動きはかつてない規模と広がりでもって進んでいる」――。
確かに、その通りだ。
しかし、この文章が書かれたのは最近のことではない。今から30年以上も前、1988年に出版された『「在日」外国人』という総勢100人へのインタビュー集の冒頭から引用してきたものだ。
翌年に昭和が終わり、平成が始まる。
そのタイミングで書かれたこの文章からは、当時すでに外国人の増加が日常生活の中で実感されていたことが感じられる。最近になって外国人が急に増え始めたというような感覚を持つ方も多いかもしれないが、それと似たような感覚は随分と前から存在していたのだ。
だが、昭和の終わりから平成の終わりまで、この間何も変わらなかったわけではない。むしろ大きな変化があった。
1988年に94.1万人だった在留外国人の数は、2018年(6月末時点)にはほぼ3倍近い263.7万人にまで増加した。
先の文章ではスーパーで大根や豆腐を買っていた留学生たちも、いまやコンビニや居酒屋でアルバイトをする存在へと変化している。
さらに、2018年末の臨時国会では新たな在留資格「特定技能」の創設が決まった。日本で暮らし働く外国人が今後さらに増えていくことは間違いない。
ただ、同時に変わらなかったこともある。
それは、いまだに外国人や移民の存在を「新しい」もの、「異なる」ものとしてまなざすこの日本社会に一般的な感性である。「この新しい事態に日本人はとまどっている」――。大きく変化した現実に対して、私たちの感覚は追いつけていない。