わからなくて当たり前

だからといってフランスには、嫁姑の諍いがないかといえばうそになる。お姑さんがおかしなことをしたといって、みんなが集まったときにその話を再現し、大笑いという場面はよくある。たとえば、息子夫婦をたずねてきていたお姑さんが、ステーキの付け合わせにあった缶詰のニンジンとグリンピースを見て、

「私は子供たちに、缶詰を食べさせたことはなかった。新鮮なニンジンとグリンピースをゆでてましたよ。冷凍食品も使いませんでした。ああ、かわいそうな私の息子よ」

といわれても、嫁さんは動じない。缶詰でも美味しいのよ、お義母さんと、そのくらいはいってのける。それでもまず彼女たちは、お姑さんのことで愚痴をこぼすことはない。お姑さんは彼女の実の母親ではないから、生まれも育ちもちがう。だとしたら、ものの見方も考え方も、なにもかもがちがっていたとして当たり前。それに時代がちがうのだから、生活習慣もちがう。そもそも冷凍食品なんて、お姑さんの時代にはなかったのだから。

どうして私のことをわかってくれないの、とはいわず、お義母さんはお義母さん、私は私とわりきるのである。

子供の成績が悪いなんて、子供の親としてどうして愚痴がいえようか。成績がよくないのにも、はっきりとした理由がある。勉強をしないか、してもできないかのどちらかだ。

フランスも小中は三期制だから、学期が終わるたびに成績表が手わたされる。子供が持ち帰った成績表をながめ、親たちこそ考える。親になった彼と彼女が子供のときの成績表と、目の前におかれたそれをだぶらせてみる。フランスでは夫と妻の学歴に、特別な人たちをのぞいて大幅なちがいはないから、責任のなすりあいはあまり聞かない。芸能人や一部の大富豪といった人たちが特別な部類に入る。

パリの登校風景 吉村葉子インスタグラムより

懇切丁寧に落ちこぼれを救ってくれるような学習塾も、家庭教師派遣センターもないのだから、子供の成績は純粋培養。できる子供はできるし、できない子供に躍起になって勉強をさせる親はいない

それでも中には、勉強をしなくて困るという親もいる。そして、そういう親と同じ数の親が先生にこういう。

「週末に宿題をたくさん出さないでください、先生。メゾン・ド・カンパーニュにいってまで、子供の宿題を見たくありませんから、私は」

別荘にいってまで、子供の宿題を見るのがいやだと先生にいう。リフレッシュのために、都会の雑踏を離れて田舎の別荘にいくのであって、子供の宿題を手伝いにいくのではないという彼ら。そして、いった先でまで子供の学校の勉強を見たくないから、宿題を出すなと先生に直談判する彼ら。子供たちにむかって、アンタたちの宿題なんて、ママは見たくないのにと、愚痴をこぼしながら子供の教科書を開くくらいなら、先生に週末は宿題を出さないで欲しいというのが、フランス流だ。