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「驚くほど似ていた」大正時代と“ナチス前夜”のワイマール共和国

「大正浪漫」の繁栄は露と消え……

郷愁に彩られた「大正浪漫」

私は大正時代というと、真っ先に竹久夢二の美人画を思い起こす。その繊細で、はかなげな女性の表情と物腰は、少年時代の私の心に深く残った。「大正浪漫」の精華である。

あるいは大正初期を舞台とした井上靖の自伝的小説『しろばんば』。着物姿の子供が空中を舞う小さな生き物を追いかける、古き良き情景が思い浮かぶ。同時に嫁ぎ先で亡くなった若い叔母への秘かな想い。年上の女性へのほのかな恋慕の情がそこにはあった。

ドイツ・ワイマール共和国を研究している私には、ワイマール時代と大正時代の面影がどうしてもだぶる。もちろん年代的にかなり重なり合っている。しかしそれ以上に、戦前の強面の社会世相にあって、両国で唯一、自由にあふれた甘酸っぱい郷愁を感じさせる。産業社会の高度な発展のもとで都市に人びとが集まり、大衆文化が花開いた時代だった。

今回は大正時代に焦点を当て、ワイマール共和国との類似点や相違点を探る。そこから民主主義がどのように駆逐されていくか、一つの過程がみえてくるはずだ。

ワイマール共和国と大正時代の類似性

ワイマール共和国と大正時代は、ともにほぼ14年と短い。ただ、大正時代の方が時代的には先行している。大正の始まりは1912年7月30日。そのちょうど2年後の14年(大正3年)7月に第一次世界大戦が勃発。結果、ドイツは敗戦国に、日本は戦勝国となる。

したがって、君主を頂いた帝国から180度転換して完全な民主体制を実現(19年)したワイマール共和国と、大日本帝国憲法(明治憲法)の天皇専制主義のもとで戦争景気の果実を得て強国にのし上がっていった大正時代とでは、出発点からして違っていた。

しかし、ナチをはじめ共和国の精神を嫌悪する数々の権威的勢力が凌駕していくドイツと、漸進的ではあるが護憲運動のもと政党政治が浸透していくものの、結局は軍閥政治に取って代わられた日本とでは、歴史的な共通性も多い。

両国は歩調を合わせるように1933年(昭和8年)に国際連盟を脱退、36年(昭和11年)には日独防共協定を締結して、第二次世界大戦へと突き進む。

ワイマール共和国の崩壊の1つの誘因となったのは1929年に始まった世界恐慌、大正デモクラシーの崩壊は23年(大正12年)の関東大震災が1つの引き金となった。いずれも外部的要因だが、誰も予期せぬ出来事が歴史を動かすことはままある。

ナチ党がドイツの政権を握ったのは33年1月、日本の政党内閣が中絶し、その後軍人内閣が中心となったのは32年(昭和7年)5月とほぼ近い。

ワイマール共和国にも、大正時代にも、光と影が存在した。自由の謳歌と暴力の席捲――ワイマール共和国のその明暗については、連載第1回で詳述した。大正時代の光と影を論じる前に、それを象徴するアナキスト(無政府主義者)の大杉栄と、その内縁の妻伊藤野枝の生涯をまず取り上げてみたい。