中国の「爆速成長」に憧れる〈中華未来主義〉という奇怪な思想

人権も民主主義も、もう要らない?
水嶋 一憲 プロフィール

とはいえ、許煜が先のキッシンジャー論文を批評しつつ危惧するように、テクノロジーの加速と革新を通じて、多くの過程で人間の役割が置き換えられていく事態を自明のこととして受け入れ、あまつさえその動きを推進していては、技術システムを前にした無力感の増大とシニシズムの深化を招き寄せはしないだろうか(許煜「啓蒙の終わりの後、何が始まるのか」)。

たとえば、すでに中国で始動している、市民の行動を監視し、格付けする「社会信用システム」に関するアンケート調査で、積極的な賛成意見が三分の二を超えるという結果は、そうした無力感の裏返しでもあるのではないか。

〔PHOTO〕Gettyimages

中華未来主義という運動体はどこへ向かうのか

「中華未来主義は……多種多様な流れが重なり合った運動体である。中華未来主義は……すでに現実に存在しているサイエンス・フィクションなのだ。」

これは、先に取り上げた『中華未来主義(西暦1839-2046)』の冒頭で流れるナレーションの一部だ。

たしかに中華未来主義と呼ばれる運動体には、中国をめぐるさまざまなイメージや思想が流れ込み、合流と分岐を繰り返している。

民主主義的な建前やPCに縛られることなく、資本主義とテクノロジーを猛然と加速させる「新中国」という見方や、「強力な権威主義的国家と猛烈な資本主義的ダイナミクス」が合体した「中国流の資本主義的社会主義」(スラヴォイ・ジジェク)という見解、またそれらをもたらした「偉大な加速主義者」(許煜)としての鄧小平という解釈、そして新反動主義者が投影する不安と羨望や、トランプ米大統領がたえず口にする中国経済への恐れ、等々。

 

中華未来主義という「サイエンス・フィクション」は、「すでに現実に存在している」未来をどのように思弁し、どこへ向かおうとしているのだろうか? 

この問いは、かつて「テクノ・オリエンタリズム」(「アジア」や「アジア人」を最先端のテクノロジーの担い手として想像し、他者化する=自分とは違う異質な存在に仕立て上げるオリエンタリズムの新版)が投射される客体であり、自ら率先してそれを内面化してきた主体でもあった「日本人」――しかしいまや、そうしたポジションは「中国人」等に移動しているわけだが――にとっても無縁ではないだろう。

一部の加速主義者は、テクノロジーを極限にまで加速することを通じて、資本主義を終わりに導くことができると論じる。

だが、それは短絡的な議論と言うほかあるまい。たとえば、人間の知能を超えた「スーパーインテリジェンス(超絶人工知能)」構想の可能性を完全にしりぞけることはできないにしても、そこには、性急な脱民主主義化と階級格差の拡大という危険性が宿されてはいないだろうか。

最後に、「加速」という語の物理学的な定義に立ち返っておきたい。周知のように、加速度とは、単位時間あたりの速度(velocity)の変化率のことだ。この場合、速度とは大きさと向きをあわせもつベクトルを意味し、単なる大きさを示す速さ(speed)とは異なる。

そして、もし中華未来主義と呼ばれる運動体に可能性があるとすれば、速さを極限にまで推し進めることを目指すのではなく、運動そのものの向きを変え、政治・技術・資本主義に新たな方向性をあたえるような、いまとは別の加速形態をそれが到来させる限りにおいてだろう。

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