宇沢の怒りと孤立
研究センターの研究の一環としてインタビューを企画したとき、意外にもあっさり本人の承諾を得ることができました。
なぜ意外だったかというと、わたしが持ち合わせている知識では、難解な数理経済学者であり厳密な理論経済学者である宇沢の真髄に迫るインタビューなど困難であることはあきらかだったからです。
宇沢邸での聞き取りは幼少期の思い出からスタートしましたが、わたしの頭のなかは、経済学に関するインタビューをどうするかという問題で一杯でした。宇沢の思想を理解するには、宇沢の難解な経済理論を深く読み解かなければならないからです。
思案のすえ、経済学者を同伴することを思いつき、提案してみたのです。口にこそ出しませんでしたが、具体的な候補者まで考えていました。
ところが、そのときでした、宇沢が激怒したのは。怒るというより、はげしく動揺し取り乱したといったほうが適切かもしれません。宇沢は、感情の昂りをおさえきれず吃りながらまくしたてると、「そんなことなら、もうこの話はなかったことにしよう!」と言い放ちました。わたしは皆目わけがわからず、押し黙っているしかありませんでした。頭のなかは真っ白でした。
「ごめん、ごめん……ちょっと呑もうか?」
興奮から醒めて我に返った宇沢がいい、キッチンに立ってビールを2本もってもどってきましたが、怒りのわけを理解できないわたしは呆然としたままでした。
この出来事は、それまで回を重ね順調に進んでいたインタビューが滞る原因ともなってしまいました。
情けないことに、怒りの意味を理解できたのは、宇沢が世を去ったときでした。
追悼文で称揚されている宇沢が、宇沢自身が語っていた宇沢とは別人であるようにしかおもえなかった。宇沢の薫陶を受けたと前置きしながら、的外れとしかおもえない宇沢論を展開している人もいたのです。
もちろん、批判したいのではありません。宇沢の孤立はそこまで深刻なものだったのか。あのときの怒り、動揺した姿を思い出しながら、私自身が確認したまでです。
宇沢は、資本主義が惹き起こす現実の問題をとらえるための理論を構築しようと苦闘する過程で、新たな思想を産み出しました。
しかし、経済学者として知名度があるにもかかわらず(「それゆえに」かもしれません)、彼の思想が広く知られることはありませんでした。
当初わたしを買いかぶっていた宇沢は、わたしというメディアを通して、自分の思想を伝えることができるかもしれないと考えていた時期がたしかにありました。
生前の期待に応えることはできませんでしたが、遺志を継ぐつもりで、『資本主義と闘った男』を著しました。
宇沢弘文は故人となりましたが、彼の思想はいま誕生したばかりです。ひとりでも多くの方に本書を手に取っていただき、新たな思想に触れてもらいたい。宇沢弘文が身命を賭して表現しようとしたLiberalismに。