高倉健、美空ひばり…「昭和スターの付き人」が明かす、苦労と喜び

苦しいこともあったけれど…
週刊現代 プロフィール

子どもの送り迎えも仕事

喜劇俳優・小松政夫氏(77歳)はデビュー前は植木等の付き人だった。

「君はお父さんを早くに亡くしたそうだね。私を父親と思えばいいよ」

付き人初日にそう言われた小松氏は、21歳から3年10ヵ月、植木のためにすべてを捧げた。

「私はとにかく、親父さん(植木)に一日一回、喜んでもらおうと自分で決めていました。

親父さんが楽屋で1時間でも眠れる時間がとれれば、部屋を暗くして休んでもらう。そして、ドアをわずかに開けて、外から様子を見守るんです。

せきをすればお茶を出し、たばこを吸いたそうだとなれば、マッチをする。親父さんは缶入りのたばこを愛飲していましたから、私はそのたばこを新聞紙の上に広げてブランデーを霧状に吹きかけ、缶には米国製ガムを入れて、香りづけをしました。

親父さんは『おまえのたばこはうまい』と喜んでくれた。新しい革靴は痛くならないように私が履き慣らしておいた。親父さんのためには手間を惜しみませんでしたね」(小松氏)

そんな小松氏に、植木は突然「おまえ、明日から来なくていいよ」と告げる。だが、これは植木の優しさだった。

「親父さんは事務所の社長に、私を独立させて専属タレントにするように直談判してくれていた。私は運転していた車を止めて、声を上げて泣きました。

最後に親父さんは『急ぐわけじゃないけど、(自宅へ)そろそろ行こうか』と優しく声をかけてくれました」(小松氏)

 

俳優のかたわら、京都市内で「スナック サムライ」を経営する勝野賢三氏(68歳)は'70年代、二十歳からの10年間にわたって松方弘樹の付き人を務めた。勝野氏はこう明かす。

「偶然が重なり、私は付き人になりました。当時は松方さんについて東京と京都を行ったり来たりする毎日でしたね。

松方さんに仕事がないときには、自宅で松方さんの子どもたちの幼稚園の送り迎えをしていました。これまで多くのスターを近くで見る機会がありましたが、松方さんには圧倒的な華がありました。現場に入ると、雰囲気が一気に変わるんです」

松方といえばその酒豪ぶり、豪遊ぶりが伝説となっている。しかし、一番近くにいた勝野氏には、まったく別の顔を見せていた。勝野氏が続ける。

「松方さんは、本当におとなしい方で、普段は『飯行こうか』とか最低限のことしか話しませんでした。飲み歩いている豪快な印象があるかもしれませんが、自宅では、いつも海パン一丁で庭に出て一日中読書をしていた。

僕らと自宅でお酒を飲むこともありましたが、本人はあまり話さず、ニコニコと相槌を打つ程度。一方で、外に出ると、松方弘樹として豪遊する。世間が抱くイメージを裏切らないように演じていたのだと思います。

たしかに外では派手に飲んではいましたが、スポンサーさんなどを接待するときは、酔っても気遣いの人。同席するとよく足を蹴られたものです。お客さんのグラスが空になっても気づかなかった。これはいまの商売をするにあたって勉強になりました。

とにかくお客さんを大事にして、サインも絶対に断らない。だからこそ家にいるときは静かだったのだと思います。

休日は一日中、無言で釣りをしていることがよくありました。それが本名の目黒浩樹に戻れる瞬間だったのでしょうね」

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勝野氏が松方に怒鳴られたのは遅刻をした1回きり。役柄と異なり、普段は穏やかだった。

「付き人時代は、友人たちが恋人を作って青春を謳歌しているのを聞くと、うらやましかった。自分は子守をしていましたから(笑)。しかし、あの10年間は無駄ではなかった。

特に学んだのは礼儀。4~5年経って、久しぶりに実家に帰ったとき、いつものように無意識に玄関で靴を揃えました。その姿に親は『大人になったな』と驚いたものです。

スナックを始めて38年になりますが、松方さんは共通の友人に『あいつは店を始めてよかった』と話していたそうです。役者だけで食べていくのは難しいですから、心配してくれていた。

松方さんは店にもよく来てくださいました。僕も離婚を経験しているのですが、『お前は俺の悪いところしか真似しないな。俺にも良いところがあるだろ。それを真似しろ』って、笑っていましたね」