高倉健、美空ひばり…「昭和スターの付き人」が明かす、苦労と喜び

苦しいこともあったけれど…
週刊現代 プロフィール

俳優・菅田俊氏(64歳)は菅原文太から一文字をもらって、芸名が決まった。24歳から4年間、菅原の付き人を務めた。

「自分は365日、オヤジ(菅原)についていたのですが、ほとんど口をきかなかったですね。オヤジは無駄な会話は一切しないですから」

菅田氏は毎朝同じことを繰り返した。早朝に菅原の自宅を訪ね、コーヒーと番茶を用意し、メイク道具などの支度を整える。そして、タクシーを呼んで、一緒に現場に向かう。

予定の時間より2時間ほど早く着き、喫茶店でコーヒーを飲んだり、近所をブラブラと散歩したりして、30分遅れで現場に入るのだという。

「そうやって役のイメージを膨らませていたのでしょうね。事前に台本は読まずに家を出て、現場に行くまでの車の中でセリフを覚えていました。オヤジが『そのほうが自然な芝居ができるんだ』と話しているのを聞いたことがあります」

あまりの忙しさと緊張感で、菅田氏は付き人をしていた期間の記憶があまりないのだという。

「ですから、ほぼ完璧な付き人だったと思いますよ。自分の時間はほとんどなかったです。

怖い思いをすることもありました。『仁義なき戦い』を見て勘違いした輩が、オヤジにつっかかってきたりするんです。そういうときに体を張って、相手を遠ざける。つかみかかられるようなことはしょっちゅうでした」

 

完璧すぎても怒られる

菅原が菅田氏に演技のアドバイスをすることはなく、『見て学べ』というのがスタイル。菅田氏は映画『修羅の群れ』で、菅原の大胆なアドリブに驚かされたという。

「地方での撮影でしたが、オヤジがアドリブで急に岩場の高いところから、海に飛び込んだんです。でも、自分らは替えの下着を用意していなかったもので、めちゃくちゃ怒られました。『なんで、持ってこんのじゃ!』って。

しかもオヤジは、下着はどこのメーカーのものをつけるか決めていた。地方ロケの最中に調達するのに苦労しましたね。

とにかく仕事中は気が休まらない。オヤジが目で訴えたら、付き人はすぐに飛んでいかなければならない。だいたい龍角散か、浅田飴なんです。『あれ、くれ』と言われて、龍角散を渡すと『あれと言ったら、浅田飴だ!』と怒られる。

ただ、生活のリズムの中、だんだんわかるようになった。ところが、それでも怒られました。『おまえは、完璧すぎるんだよ!』って」

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あまりにも理不尽だが、菅原が怒るのには理由があった。

「締まりのない撮影現場があるんです。そういうとき、オヤジは『このバカヤロー!』と言って私のことを叱る。すると、空気がピリッと締まる。

また、役者にはストレスがたまるときもあります。そういうときに怒鳴られる部分をあえて作っておかないといけなかった。付き人というのは深いなと思いましたね」(菅田氏)

4年間付き人だった菅田氏は菅原とちょっとしたことで口論になり、破門される。その後、菅田氏は唐十郎の劇団に入団するが、このとき菅原は唐に手紙を書いてくれていたのだという。

「手紙は『でかくて胡散臭いやつが行くけど、唐、よろしく頼む』というような内容だったそうです。

何年かして破門を解いてもらってからは、オヤジが『農業をやるんだ』と言って、手伝いにも行きました。高倉健さんにかつて『付き人というのは一生、付き人だぞ』と言われたこともありましたが、まさにそのとおりになりました。

オヤジから学んだことは、〝立ち方〟です。小手先の芝居ではなく、仕事に対する胸の張り方や空気の作り方。この年齢になってようやくわかってきたかな。本当のダンディズムというのを教えてもらいました。

『銀幕のスター』の最後に間に合った、という思いです。あまり記憶はないんですが(笑)、あれが私の青春だったのでしょう。それが知らないうちに、自分の中で糧になっているのだと思います」(菅田氏)