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高倉健、美空ひばり…「昭和スターの付き人」が明かす、苦労と喜び

苦しいこともあったけれど…

いまの芸能界から「付き人」は消えつつある。だが、昭和の時代は彼らが名優や歌姫を一番近くで公私ともに支えていた。青春時代をスターに捧げた付き人たち。その時間はあまりにも過酷かつ濃密だった。

健さんがくれたご祝儀

高倉健が行きつけだった喫茶店、京都にあるイノダコーヒ本店。健さんがいつも座っていた窓側の席の隣に座った西村泰治氏(80歳)は、健さんの分のコーヒーも注文して、空席に語りかけた。

「これからダンナのことを話しますね」

40年来の付き人だった西村氏は健さんのことをダンナと呼ぶ。彼は二人の思い出をこう語った。

「若い頃の私は東映撮影所に出入りしてチョイ役で映画に出演したこともありました。その縁があって中村錦之助さんの紹介でダンナと出会いました。

私のほうが7歳ほど年下です。ダンナが自分と一緒のときは立ちションベンもするし、女性の話で盛り上がることもありました。身の周りの世話をする人はほかにもいましたが、なぜか自分をかわいがってくれた。

理由はダンナのお母さんの墓参りでしょうね。お母さんが亡くなったとき、ダンナは映画『あ・うん』の撮影中でした。監督やスタッフからいくら病院にいくように勧められても、ダンナは頑なに断り、そのまま撮影を続けました。

いまでも『役者ってのはつらいんだよな。親の死に目にも会えないんだ』と漏らしていたことをよく覚えています」

 

以来、西村氏は健さんの母親の命日になると、福岡・小倉にある墓を訪ねた。朝6時から墓所の掃除を始め、健さんが現れる前にそこから離れる。10年が経ったとき、健さんはそのことに気づく。

「あるとき突然、ダンナが『ヤスシ、ありがとうな』と言って涙を流してくれた。『お前は俺のボディを10年間も打ち続けてきた。それが効いてきたんだ』と。自分も泣きましたね」(西村氏)

健さんは冠婚葬祭に出席しないことで有名だった。だが、京都で行われた西村氏の息子の結婚式には駆け付けた。

西村氏が続ける。

「私は招待状を送っていません。ところが当日、ダンナが来てくれた。思わず『ウソやろ』と我が目を疑いました。ダンナは『バカ野郎、息子のために来たんだ』と言っていましたが、その思いは十分に伝わりました。

金額の問題ではありませんが、ご祝儀も持ってきてくれて、中には300万円も入っていました。

自分はいつも怒られていましたね。一度は縁を切られています。ダンナの悪口を言いふらしている人間がいました。

そいつがダンナを訪ねてきたとき、私はその男をしばいて追い返してしまった。ダンナからは『俺が「どつけ」と頼んだのであればそれも許す。だが、お前が勝手なことをした。明日から来ないでいい』と。考えればもっともです。

結局、3年間も会えない日が続きました。そのときほど反省したことはありません。私はいま80歳ですが、一番の願いは『みんなが高倉健という役者を未来永劫忘れないでほしい』ということだけです」