進化教育学者が『万引き家族』を観て涙が止まらなかったワケ

哀しくも美しい「教育の本質」が見えた
安藤 寿康 プロフィール

教育とは「無償の行い」である

ヒトという生物は、この社会を作り上げている文化的知識なしには生きられない。

その知識は、いくら読書好きの、自分で学べる賢い祥太といえども、一人だけで学ぶことはできず、すでに知識をもった他者の「教える」という行為に助けられなければ学びとることができない。

自然は進化の過程で、学んだ知識を自分だけで独り占めせず、他者に教える能力、そしてその教えによって学ぶ能力をセットでヒトに与えた。ヒトにとって教え教わるという行為は、母親が子どもに乳を与え、父親が取ってきた獲物を子どもに分け与える食物分配と同じ、知識という獲物を利他的に分配する生物学的営みである。

それはもともと共に信頼し合い、愛し合うものどうしの間に生じる無償の行為だった。狩猟採集民など先住民族は、部族の秘儀・秘密を特別な通過儀礼によって限られた者だけに伝える。漁師は誰も知らない魚の集まるポイントを、自分の息子にだけ教えるという。教え教わるとは直接の見返りを求めない無償のふるまいだ。

プラトンによれば、それはエロスのなせる仕業であり、生殖にも似た行為なのである。近代に入って学校という組織が制度に組み込まれ大衆化したために、教育はその制度の中で機能する職業的営みとなり、その生殖にも似た本来の緊張とときめきが見失われがちになっている。だがそれは本来エロスからほとばしり出る魂の生殖なのである。

だから治は万引きの仕方を、そのおまじないのような緊張の儀式とともに「教えた」のだ。彼がこの世に生きるための専門性のある知識はそれしかなかった。私はその哀しい純粋さに心を打たれたのだ。

唇の動きが伝える「愛」

逮捕を機に、治は自分がもはや祥太の父としての能力も資格もないことを悟り、「とうちゃん、おじさんに戻るよ」と告げる。最後まで「とうちゃん」と呼ばれないまま、バス停での別れがくる。祥太は児童養護施設に預けられ、きちんとした学校教育を受けるようになっていたのだ。

祥太を乗せたバスを思わず走って追いかける治。祥太は振り向こうとしない。いよいよ治の姿が見えなくなったところで、祥太はその見えなくなった治のいるほうに振り返り、はじめて「と・う・ちゃ・ん」と唇を動かす。

一回目、それに気づかなかった。それでも泣けた。二度目に観てその唇の動きに気づいたときは嗚咽するしかなかった。三度目は英語の字幕付だったので、しっかり”Daddy”と表示されていた。字幕で種明かしをされてしまってはその効果が台無しになるが、国際映画賞も取った作品だ。仕方あるまい。

この同じ手法が、「家族」全員で海水浴に来て、この映画のポスターにもなっている5人が手をつないで波打ち際でジャンプする姿に向かって、一人離れて砂浜の上に座りこんだ初江が、うしろから「ありがとうございました」と、やはり唇の動きだけでつぶやくシーンでも使われていた。

そのすぐ後、初江は家族みんなのそろった家で静かに息を引き取る。名優・樹木希林、晩年の至芸であった。