歴史学を元気に——いま目指すべきは新しい「歴史観」の提示である

<日本史のツボ>のツボ 第1回その③
本郷 和人 プロフィール


ぼくの師である石井先生は、真の「民衆史観」とも呼ぶべきでしょうか。歴史は一人の英雄が作るのではなく、また政権が社会を形作るのでもない。中世社会の豊かなありようを支えていたのは圧倒的大多数の庶民であり、文字をもたぬ庶民の動き、生活の実相を民俗学や考古学を助けとして明らかにする。

戦後、東大国史研究室(いまの日本史研究室)に所属していた学生が次々とマルクス主義を信奉する学生運動に身を投じていった中、先生は一人、黙々と史料や書物に向き合っていた(ぼくの高校の恩師であり、国史研究室の大先輩でもある城谷稔先生からうかがった話です)。

その先生は39歳で『日本中世国家史の研究』(岩波書店)をまとめると、政治研究には別れを告げ、中世の庶民の世界に分け入りました。ぼくの上司だった千々和到さんは、「石井先生こそ本当のリベラルだ」と言われましたが、まさにその通りだと思います。

 

もう一人の師である五味先生は「文化史観」でしょう。高校教科書を見れば分かるように、時代の変遷は政治、もしくはその非常時の形態である軍事を軸として叙述されています。文化は、それぞれの時代の記述の最後に「この時代の文化」として、おまけのようにまとめられているに過ぎません。

しかし、文化こそは人々の営みの精華であるとして、文化の変遷を語ることによって社会を語り、中世史のみならぬ日本史を語り通すところに五味史学の真骨頂があります。

政治が主導して歴史が変わるのではない。あるいは唯物史観が言うように、経済に着目して生産構造を分析することが歴史の変遷の説明になるわけでもない。人間存在や精神を見つめる先生の視座は、石井先生の影響を受け継ぎながら、まったく新しい地平を開拓されました。

本郷和人が考える、「軍事」を軸とした日本史

こうした偉大なる先達の業績を目の前にすると、ぼくのような「小物」は身を小さくして萎縮するよりほかにすべがない。

それでも、今日の歴史学の衰退を思うと、「歴史観」にまで到達すること――そこに向けての歩みを止めるべきではないでしょう。たとえその歩みが遅々たるものにすぎないとしても。

ただ、以上のことをふまえた上で、ぼくが夢想する新しい歴史観は、伝統的な「政治」主導のものではなく、かといって唯物史観の基軸となる「経済」でも五味先生が注目される「文化」でもなく、「軍事」をその牽引役として選択しようと思っています。

軍事とは、先にも述べたように政治の1形態ですが、その激しい性格ゆえに、一瞬にして社会生活を変えるパワーを有しています。

日本は、700年にもわたって武士がリードしてきた、という歴史的な特徴も踏まえた上で、また平和の貴さを再確認するという意味においても、研究が乏しい軍事に着目して日本史を考察していきたいと願っています。 

最後はただの願望になってしまいましたが、以上をまとめると、「史料の読み」から出発する「史実の復元」(歴史研究者)「史像の構築」(歴史学者)、最後に「史観の創造」(歴史家)――専門家の努力の進展とは、以上のようなものになります。

では、このルートに乗らない、あるいは乗ることのできない人は、歴史に親しむことはできないのか? 史学とは、ただひたすら堅苦しい作法を要求するだけの学問なのか?……

いえ、断じてそんなことはありません。

どうしたら、気軽におおらかに「歴史を楽しむ」ことができるのか?

歴史を楽しむこと、歴史を好きになること――次回からは、それについて述べていきたいと思います。

第2回に続く