「ひの食堂」のエビフライ

東村山のベッドタウンに佇む「孤高の食堂」に十数年ぶりに行ってみた

ロビンソン酒場を往く②

東京都東村山市といえば志村けんさんを思い出す人は少なくはあるまい。今なお、お笑い界のトップに君臨する大スターの出身地であり、この地を歌った「東村山音頭」 は社会現象といってもいいほど大流行した。私など、いまだに「一丁目」という文字を目にすると、思わず「わーお」と言いたくなる。

かように、その名を知られた場所であり、志村けんさんのファンであれば、それは聖地のようなところだが、わざわざ行くかというとそれはまた別の話であって、松竹映画が好きは大勢いても大船にあった鎌倉シネマワールドなるテーマパークはわずか2年たらずで閉鎖されたことをひきあいに出すまでもない。

 

歴史と文化が息づくまち

西武線が複数乗り入れている同市だが、乗降客は1日3万人くらいである。ちなみに、新宿駅の乗降客は1日347万人である。どちらも同じ西武新宿線が乗り入れている。これらの数字は単純に比較できるものではないが、東村山市は、やたらに賑わっているような街ではない。実際、人口は年々減少しつづけ、現在15万人を切っている。

ひとつ面白い話があって、駅前にある飲み屋で居合わせた客がこう言ったのである。

「新宿へのアクセスがいいから、地方からやってくるキャバ嬢が、最初に一人暮らしをするのに、東村山を選ぶことが多いんだよ」

ウラはとれなかったが、アパートの賃貸料も都心よりもお手軽だし、案外本当なのかもしれない。

それはさておき、確実な話、この街には、いまだに酒蔵がある。地ソースメーカーが2社もある。前者は豊島屋酒造。後者はポールスタアと辻ブランドの竹田商店。

中野区より少し広く、新宿区より少し狭いエリアに、酒とソースの会社が複数あるという事実は、この地域にそれなりの歴史と文化的な奥深さがあることを想像させるには十分である。

くわえて、いつもはやっている食堂がある。

夫婦二人で切り盛りする定食屋だが、昼も夜もお酒をおいている。すべて単品で注文できて、アテにできる。飲める。古い定食屋にはよくあるスタイルである。

昼から酒の飲めるありがたい食堂

定食屋ないしはいわゆる食堂で飲む酒の都合の良さは、食事をとるフリで飲めることである。特に、たいがいの酒場がやっていない日中に飲みたい時、料理を単品でも注文できる定食屋は酒場とまったく同じである。

そもそも昼間から酒を飲んで何がいけないのか、という話をはじめればキリがないけれど、昼間から飲むコトを白眼視する人は現実にいて、そうした眼差しは真面目で悪気がなかったりするので、さらにタチが悪いなどと思ってしまうのだが、定食屋の場合、割にうまくかわすことができる。こういう店はありがたい。

そういう店の一つが、この街にある「ひの食堂」である。これが、まったくロビンソン酒場なのである。

ふたたびロビンソン酒場についてふれるが、それは、なんでこんなところでやっていけるのだろう、と思わずにいられない、立地条件が不利な酒場のことである。

最寄駅から歩いて10分はかかる。近くに人の出入りの多い大きな施設があるわけでもない。端的に言って不便な場所。そういうところにある飲食店をロビンソン酒場と呼んで探訪している。絶海の孤島で一人奮闘したロビンソン・クルーソーの物語になぞらえている。

あの物語は途中からフライデーという少年が現れ、ロビンソンと二人の交流もあってさらに面白くなるが、ロビンソン酒場にフライデーはいない。ずっとロビンソン一人、要するにこの先も、おそらく便利な場所に変貌することはない。

さて、ひの食堂である。

西武線の東村山駅から徒歩10分ほどかかる。大通りから一本引っ込んだ、五叉路のちょうど又のところにあり、この様子を初めて見たとき、すぐに知人には「横尾忠則の絵みたいなところ」と説明したのであった。

切り盛りしているのは、日野正道さんと恵子さんのお二人である。正道さんはすでに七十代の半ばで、店をはじめたのは

「31の時だね」

もはや半世紀近い歴史をかさねた店である。

それにしても、この場所はお世辞にも便利とはいえない。駅からの道のりも、歩道も片側にしかなく、時折店はあるものの、歩けば歩くほど住宅ばかりになってくる。住宅があるからといって人の気配にみちているというわけではない。人通りが決して多くないところに家が立て込んでいる環境は、緑のない森みたいなものである。

通りには時々飲食店もある。しかし、これが不思議なもので、飲食店はある程度かたまっていると、立ち止まって「どの店にするか」と選択する気になるが、一軒ポツンとたっていると、この現象がおこらない。

よほど、インパクトがあるか、たとえばカレー好きの人間が一人歩いていて、カレー屋がぽつんとあれば立ち止まるが、そうでもなければ、「へえカレー屋か」ぐらいは思ってもそのまま通り過ぎてしまったりする。

だが、このセオリーにしたがえば「ひの食堂」もポツンと横尾忠則のY字路的な場所にあるので、やり過ごしてしまうかといえば、これが、足をとめずにいられないのである。