世界中が衝撃を受けた「戦争広告代理店」の実態と教訓

そしてトランプは何を変えたのか?
伊藤 剛 プロフィール

この時代のメディアの存在意義

誰もが信じたい情報だけを信じるそんな時代に、圧倒的な「主観(オルタナティブ・ファクト)」でコミュニケーションが行われる中、既存のメディアは変わるべきなのか、はたしてどのように情報を伝えていくべきなのだろうか。

「私が知る限りNHKの指針は今も昔も明確で、放送法に規定されているように、『政治的に公平』であり、『意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする』ことが求められます。

ですから、自らある決まった『社論』といったものを張ることはしません。そこは入局以来、徹底的に叩き込まれているので、できるだけ客観的にと思って作っています。

一方、ドキュメンタリーというのは『ある程度の主観』がないと作れませんので、世に出す時はその『バランス』というか、最も大切なことは最後の意見形成は『受け手に委ねる』ことを忘れずに作っています。

それは『建前』かもしれませんが、しかしそれは『重要な建前』で、この業界にいる多くの人がそのことを忘れずに作っていると思うんです。

但し、現実には『重要な建前』を実現するのも、難しいことです。

だからこそ、複数のメディアが存在して、それぞれが独立して大きなコストをかけて取材、報道し、お互いに牽制したり差別化したりすることで、ようやく「全体で重要な建前の実現」に向かえるのだと思います。

このことを全国レベルで実現できる適度な量が、放送法の規制をうけるかどうかの違いはあるにせよ、テレビや新聞ではそれぞれ数個なのでしょう。

もともとジャーナリズムは権力監視が重要な役割です。それと同時に、ハーフ氏の指摘する、トランプの世論誘導の手法がヒトラー・スターリンにつながるといった危機感にはびっくりしましたが、それでもメディアが一斉にトランプを落選させるために報道するとしたら、単に「カウンタープロパガンダ」になるだけなので、それも違うと思います。主観を出さない情報の価値というのもあると思っています」

 

高木の語る「重要な建前」とは、つまりは「客観的であろう」とするメディア側の心構えのこと。

しかし、情報の受け手である私たちは、編集された記事や番組を見ると、その建前を盾にして「メディアは客観的でないのではないか」とすぐに批判してしまう傾向がある。

もちろん時に批判も必要ではあるが、重要な建前には「重要な原則」があることも知っておく必要がある。それは「編集の不可避性」という、至極当たり前の原則のことだ。

〔PHOTO〕gettyimages

「実際、メディアは入ってきた情報を精査なしに全て報道しているわけではありません。

例えば、ドキュメンタリー制作においては、決められた放送時間内で、一筆書きのごとく話がつながるように、そして視聴者が退屈してチャンネルを変えないように、取材した情報をどのように並べるのか、切り出すのか、テクニックを駆使して編集します。このとき、全ての情報を盛り込むことは不可能です。

つまり、視聴者の皆さんにお見せしているのは、「知り得た情報の一部」にならざるを得ないのです。情報が無限に広がる一方、使える時間は限られている現代社会の中で、『どんな情報でもいい』『何でもあり』になれば、その分受け手には大きな負荷が求められます。

例えば『記者会見』という場だけを考えてみても、毎日数多くの場所で記者会見が開かれ、そのどれが重要でどの発言が大切なのかなどは、実際にその場に行ってみなければ分かりません。

各メディアは膨大なコストと人員を割いて、数多くの会見場に記者を派遣し、必要なら質問もして回答を得た上で、素早く判断、重要なものを編集して限られた時間のパッケージとして出しています。

もちろん記者も、そして記者の情報を総合的に判断する立場の『デスク』や『編集責任者』も長期間の育成を経たプロです。そこにも膨大なコストや人員がかかり、そうした人材が会見では出てこないような情報や背景も綿密に取材した上で放送します。

これをインターネット時代だからと言って、一人一人の受け手ができるかと言えば難しいでしょう。

その結果、ある記者会見で一時間にもわたる内容の発言が、あるニュースで30秒しか出せないということもあるかもしれない。また、ネット時代では視聴者が長尺の映像を見なくなっている状況も合わさって、以前よりさらに短いものが必要になっている事情もあります。

発言のどこを切り取るか、どの順番で、どのような映像とともに出すか、つまりは『加工』が必要ですが、そのバランスの追求をメディアはプロとして試みています。

さらには、会見などとは異なる『独自の調査報道』が必要なことはもはや指摘するまでもありません。こうしたところに、メディアのプロフェッショナリズムがあると考えています。

もちろん、日々の努力と研鑚が必要です。皆さんには、そうしたメディアの『編集の不可避性』とでも言うべき特性を改めて知っておいて欲しいんです」

今や「プラットフォーム」と呼ばれる情報産業が、自社サービスによって情報を拡大させながら、一方でその情報を整理するサービスもまた同じ会社が提供しているような時代だ。

便利さと引き換えに、私たちは知らず知らずのうちに、自分の嗜好に合った情報世界(フィルターバブル)の中だけで暮らし始めている。

そんな状況にもかかわらず、時に「編集された情報(主観)=嘘」との論調さえ見受けられるが、その単純な構図ではきっと視野がより狭まっていくだけだろう。

情報が増える一方で、視野が狭くなりつつある時代。「真実」に近づくために私たちは何をすればよいのか、答えはすぐには見つからない。

メディアとPR、情報と編集、嘘と真実。その「境界線」は思っているよりも明確ではない。だからこそ、その間を「揺らぎ続ける覚悟」が、メディアにも私たちにも今求められているのだと思う。

(敬称略)