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世界中が衝撃を受けた「戦争広告代理店」の実態と教訓

そしてトランプは何を変えたのか?

ドキュメント 戦争広告代理店』という本をご存知だろうか。

2000年に放送された『NHKスペシャル 民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕~』の番組をもとに2002年に出版され、その年の講談社ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をW受賞した名作なので、タイトルだけでも目にしたのことのある人は多いかもしれない。

著者は、この番組を担当した現役のNHKのディレクター・高木徹(現在はNHKグローバルメディアサービス国際番組部所属)で、自身が手掛けた番組をベースに、臨場感溢れる国際情報戦をドキュメントした内容となっている。

「戦争に広告会社やPR会社が関わっている」と聞いても、まるでアメリカのスパイ映画のようで、正直なかなか現実感を持てないかもしれない。

戦争や平和を道徳的・倫理的な側面で語ることの多い私たち日本人にとって、それは仕方のないことだ。

しかし実際の戦争というものは、もっと現実的に、より構造的に起きている。分かりやすく言えば、戦争にも政治にも「ビジネス」の顔がある。

特に、現代社会においては「情報ビジネス」の側面が一際大きくなっている。巨大な情報経済の中で生きる私たちが、真実に寄り添って生きていくためには何を知っておくべきなのか。国際情報戦に詳しい高木に改めて話を聞いてみた。

(取材・文:伊藤剛)

サラエボの殉教者記念日墓地〔PHOTO〕gettyimages

「戦争広告代理店」という本当の意味

「そもそもこの書籍のタイトルは、編集者がつけたものです。本の中で『これはPR会社の話で広告代理店の話ではない』といった説明を数ページにわたって書いているように、内容的には『戦争PR会社』だと思います。

しかし、一方で日本人には『PR会社』という存在があまり馴染みがありません。編集者からも、これは『戦争+広告代理店』ではなく、編集者からは、『戦争広告+代理店』という意味だと説得されて、最終的にこのタイトルに落ち着きました」

広告会社なのか、PR会社なのか。この違いは、この本を理解する上で根幹となるトピックだ。

 

広告というのは、スポンサーがお金を払って何らかの「メディアの枠」を購入するため、基本的に自らのイメージを自由に宣伝できる。

一方、PRというのは、メディアが情報(記事)を作成する過程に影響を及ぼし、クライアントにプラスになるようなイメージを社会に形成させる手法のこと(但し、メディア・リレーションはPR手法の一側面でしかない)。

本来、発信側のジャーナリストが自発的に情報を選び、それを社会に届けていると思っているところに介入するため、広告よりもある意味で高度なテクニックが必要とされる。

「端的に言えば、手練手管です。さまざまな技術を駆使して、メディア以外にも、政策決定者や有権者の代表である議会、オピニオンリーダーなどの対象とコミュニケーションをとり、クライアントに有利な世論を生み出す。それがPRの神髄です。

民主主義国家であれば、当然選挙によって政治が決まっていくわけですが、その時のアジェンダ・セッティング、つまり『今この社会で何を問題とするべきなのか』といったことは、基本的にメディアの潮流の中から生まれてくることが多いのです。PRの重要性は、まさにその『世論形成』をするところにあります」

戦争広告代理店』の主人公は、その「PRマン」だ。

石油資源が埋蔵されている中東地域と異なり、国際社会の関心を集めにくいバルカン半島への関心を高め、軍事的には明らかに劣勢だったボスニア政府側の支持者を増やし、クライアントの敵セルビア側を「国際社会の敵」に仕立て上げ、最終的には国連総会から追放した。

まるで企業のサービスを社会に普及させるがごとく、正義の判断にPR会社が関わった。歴史的にも、ボスニア紛争はセルビアが一方的に迫害した内戦として記憶されている。やはり、まるで映画みたいだ。

なぜ「その存在」に気がつくことができたのか?

この紛争と高木との出会いは、自身が紛争の現場を取材していたからというわけではない。

高木の肩書きは、いわゆる「戦争ジャーナリスト」ではなく、NHKの一職員だ。ボスニア紛争についても、当時は日々海外から配信されてくるニュースを見て知っていたに過ぎなかったという。

そんな高木が、そもそもなぜ紛争の背景にPR会社がいるのではないかと気づくことができたのだろうか。

「書籍のもとになったのは、NHKスペシャルの番組ですが、それを制作するに至るまでは二段階ありました。一つ目は、私は1990年にNHKに入局して静岡放送局に配属されたあと94年に東京に来て『おはよう日本部国際班』という部署にいた時のことです。

どのように番組を制作していたかと言えば、夜11時頃に出勤して、海外のロイターやAP通信社などが送ってくる「生の映像(解釈されていない、短いキャプションしかついていないような映像)」を一晩中見て朝のニュースを作るのですが、そのウォッチ係をしていました。

日本は深夜ですが、時差の関係で欧米などの海外ニュースは朝の時間までいろいろと動いているので重要なんです。

当時はボスニア紛争の末期で、サラエボ市内で砲撃があるなどして市民が多数死傷したといった、流血おびただしくとても放送できないレベルの映像もありました。

その生の映像を見ている限りは、最初はどちら(セルビア側・ムスリム側)がやったか分からないんですが、数日経つと「セルビア側がやった」と分かり、世界各国が批難を始めました。

具体的な証拠が判明していないのに、一方的に批判されていることに違和感というか、その「世論形成の流れ」に不思議な感じを抱いていたんです。けれど、その時はまだそれだけでした。

それから3年後、今度は『BS22』(現在は『国際報道2019』)というBS1の国際ニュース番組に異動して、コソボ紛争(1998〜99)を担当したんです。

コソボの独立を求めるアルバニア人たちが、コソボ自治州の中でセルビア人から迫害を受けているという構造で、虐殺が起きて農家で大量の死体が見つかったりして、この時もやはり数日で「セルビア側が悪い」というメディアの論調になっていきました。

その頃になると、インターネットが普及し始めていたので、アルバニア人とセルビア人のそれぞれを支援するサイトがあって、互いにひどい証拠写真のようなものを掲載して批判し合っていました。

そのセルビア側のサイトの中に、『いつもセルビアが悪者になるのは、実はボスニア紛争の時に始まっていた。それを陰で仕掛けたのは、ジム・ハーフという奴だ』という書き込みを見つけたんです。その具体的な名前を見て、彼に連絡を取ることから取材が始まりました」

コソボの集団墓地〔PHOTO〕gettyimages