岩波、中公、講談社…大正の出版社に集まった傑物たちの個性を見よ

「道義の人」に「野人」…
魚住 昭 プロフィール

岩波茂雄という男

そのころの岩波茂雄の素顔を、当時17歳の少年だった小林勇(戦後に岩波書店会長)が『惜櫟荘(せきれきそう)主人──一つの岩波茂雄伝』(講談社文芸文庫)に描いている。

大正9(1920)年4月、長野県赤穂(あかほ)村(現・駒ケ根市)から上京した小林は、兄と一緒に神保町の岩波書店を訪ねた。

帳場に座っていた縁なし眼鏡の店員が、主人は信州へ旅行していたが、もう帰るはずだから待っていたらよいだろうと言った。

まもなく気ぜわしそうな人が店へ入ってきた。店番の人たちに「お帰りなさい」と声をかけられて、脇手の事務所らしいところに靴を脱いで上がろうとした。縁なし眼鏡の店員はさいぜんから2人が待っていると伝えた。

「どうぞお上がりください」と言って、その人は中へ入り、2階へ勢いよく上がっていった。小林兄弟はその後へつづいた。

2階の8畳間で対面すると、その人は「岩波です」と挨拶した。小林の兄はいきなり訪ねてきた非礼をわび、「これは弟ですが、本を読むのが好きなので、本屋に奉公させたいと思う。あなたのところで使ってもらうわけにはいくまいか」と言った。

 

岩波は「実は今年店員を募集したが、気に入ったのがひとりも来なかったのでそのままになっている」といった。小林の兄は弟の学校の成績表などを見せた。「なかなかできるじゃないか」と岩波は言った。そして小林のほうに向かい「君がもし金儲けをしたいなら、僕のところに来ても無駄だよ。金儲けをしたいなら東京堂か三省堂に行ったらいい」と言った。

小林はカッとなって「金儲けをしたいと誰がいったのですか」と大きな声を出した。すると岩波は頑固らしい顔をほころばせて「こりゃ失敬した」と言った。

それから岩波は小林にいくつか質問をしたが、そのなかに「君は車を引くことをいやとは思いませんか」というのがあった。小林は「車でも何でも引きます」と答えた。数分後に岩波は「明日から来てもらいましょう」と言った。

「客のほうが悪い」

小林の店員生活が始まった。岩波はいつもせかせかしていて、外から帰ってきて靴を脱ぐのも、靴を履いて外へ出て行くのも嵐のようであった。

ある日、小林は岩波に呼ばれ「君は客と喧嘩をするそうではないか」といわれた。小林は店番をしていて、客の態度に腹を立てることがあったが、たいていのときは我慢していた。それでも客があまり変なことを言うと、ついむかむかして店先で喧嘩してしまうのである。

小林は喧嘩の理由を聞かれたので、客がこう言ったから馬鹿野郎と言ったと答えると、岩波は「なるほど、それは客のほうが悪い」と言った。そして「その次は」と促した。小林はまた喧嘩の次第を説明した。岩波はまた「客のほうが悪い」といった。そして「その次は」とまた聞くので、小林は第三の喧嘩の次第を説明した。

岩波はまた「客のほうが悪い」と言っただけでなく、「そういう客はどんどんやっつけてよろしい」と言った。「ぼくも店をはじめた時分に客と喧嘩をしたことがある」といって、その例を小林に話した。小林はそれ以後、ほとんど喧嘩をしなくなった。

道義感の岩波。野人の滝田。人心を収攬(しゅうらん)する清治。それぞれの個性が大正デモクラシーとともに開花し、近代日本の出版は黄金期を迎えようとしていた。

(第4章 了)