「角栄を総理にした女」佐藤昭の生涯を、ふたりの娘が明かした

「越山会の女王」と角栄の深い縁
早野 透

「男にとって女は砥石だ」

その複雑な家族のはらわたを見せるように表しているのが、本書の第一章「オヤジからの手紙」である。佐藤昭の死後、母の部屋の耐火金庫のなかから、敦子は自分あての外遊先の角栄からのエアメール、それから角栄が自筆で原稿用紙に書きつけた昭あての長文の手紙を見つけた。それは立花隆の協力を得て角栄の癖の多い筆跡が解読され、『文藝春秋』2011年11月号に独占公開「田中角栄の恋文」として掲載された。

この「恋文」とはいったい何なのか。

新しい家に引っ越したい昭によくよく調べて場所を選び移るべきこと、自分はその金を惜しんでいるわけではないこと、昭の二人目の夫との関係をどうすべきか苦しんでいること、そもそも昭とは「前世からのものかも知れん」と思われる縁であること、娘敦子は「ふびんな子程かわいい」こと、そんなことがめんめんとつづられている。

当時、佐藤昭はどこに住んでいたのか。児玉の表現によれば「大井町の、窓を開けると銭湯の煙突の煙が流れ込む安アパート」の六畳一間を借り、新橋のキャバレー「S」に通っていた。最初の夫と別れたことを聞きつけた角栄から秘書になれと勧められ、秘書になったのがそんなころだったことは前述した。

しかし昭は、角栄との関係ができたのに、そのキャバレー「S」で知り合ったサラリーマンと二度目の結婚をした。あつ子の本によれば、その結婚式に、自民党副幹事長だった角栄が親代わりとして出席した、そうである。そんな二人目の夫との関係がありながら角栄との間で敦子を産んだ昭は、どういうつもりだったのか。

敦子はそこに疑問を持って、佐藤昭とともに角栄の秘書をしていた朝賀昭に聞く。朝賀はよく敦子の面倒をみてくれた「お兄ちゃん」である。朝賀は「腹いせだよ」と言ったそうである。「腹いせ」!

 

二番目の結婚は角栄への「腹いせ」だったのか。敦子の出生の秘密につながるこの本のこのあたり、俗といえば俗かもしれないけれど、男女の愛と嫉妬の苦しさが浮き彫りになっている。「恋文」を受け取ったころの佐藤昭は、角栄を大いに困らせたのであろう、しかしともあれ、昭は戦後の哀しい思い出のまつわりついた大井町の土地を出たかった。

角栄は、男女関係と住宅購入の金の問題の絡んだ昭の要求にかなり苦しんだのであろう。「恋文」では、「代議士をやめてもよい」と言ってみたり、「然しあくまで素直に考えて呉れ。僕の愛情は永久に変らないのだ」「お前の心が落ついたら電話してくれ。三日ばかりよくねむれない」などと懸命に昭をなだめている。

結局、昭は二番目の夫と離婚、角栄は昭たちを市谷左内町に転居させ、さらにその一年後には赤坂の豪邸に移らせた。こんどは角栄がときどきそこにやってくる。敦子にとっては、それまで「おじちゃん」と呼んでいた角栄が「お父さん」に変わった。

角栄と佐藤昭の間に生まれた娘が、心情ほとばしるように書いたこの本のエッセンスを整理すると以上のようなことになる。角栄が日の出の勢いで蔵相になったころのことである。あつ子の本には、母の昭の『日記』と違って角栄の政治キャリアの話はほとんど出てこない。そもそもあつ子にとって政治は遠い世界である。従って、政治の世界ではなくて角栄と昭と自分の私的世界を突き詰めていく。

敦子は長じて角栄のことを話すとき「まあ、本当のところ、オヤジの娘だという証拠はないんですけどね」と付け加えた。その屈折した感情もあって、敦子は酒や薬にのめりこむ。角栄の傍らで権力を分有するようになる母との心の乖離、角栄の目を盗んで赤坂の豪邸で朝まで議員たちと麻雀卓を囲む退廃を敦子は嫌った。そして恋愛、自殺未遂、うろたえる角栄。

あつ子の本は、政治家田中角栄が捨象されているからこそ、母の昭の『日記』の政治的虚飾はなく、むしろ角栄の人間像、濃厚な愛情、男として、父としての苦悩をありありと描いている。それにしても角栄は罪深い。罪深いことではあるけれど、本宅のほかに二軒の愛人の間をどんなに苦心して立ち廻ったことだろう。それぞれとの関係を相互に秘密にせねばならない苦しさ、想像に余りある。

稀代の政治家田中角栄の人生にとって、女とは何だったのか。政治に賭ける情熱に劣らず、角栄は女に愛情を注いだ。角栄の妻はなへの愛情は静かにして本物である。眞紀子のことも「うちのじゃじゃ馬」といいながら深く愛した。そのうえに、むろん角栄の経済力があってのことだけれども、二軒の愛人宅のことも病に倒れるまでたいせつにした。繰り返しいうのであるけれども、角栄は罪深い。

しかし、そこには角栄の尋常ではない愛情量というものも感ずることができる。ほかにもつかのまの女性はいたかもしれないけれど、この「愛人」たちは一時の浮気心というたぐいのものではない。

しかし、それは愛なのか。角栄の「番記者」だったわたしがあるとき、「あなたにとって女とは」と質問してみた。角栄はしみじみとして「男にとって女は砥石だ」と語った。男は女とのかかわりによって魂をすり減らす。女がわがままならそれはそれでよい。せいいっぱいそれを受け止める。それこそが男と女なのだ。わたしは「田中角栄の恋文」を読んで、角栄の「砥石」の意味をつかんだような気がした。