「角栄を総理にした女」佐藤昭の生涯を、ふたりの娘が明かした

「越山会の女王」と角栄の深い縁
早野 透

昭が記した「角栄伝」にして「反駁」

その一年後、角栄の回復を待ち続けた佐藤昭から『私の田中角栄日記』(以後、『日記』と略す)が出された。これは、政治家角栄の一番身近にいた立場からの角栄伝であるとともに、もうひとつ、児玉の『淋しき越山会の女王』への断固たる反駁の書だったといっていい。

『日記』は、角栄が明日、自民党総裁になろうという日、角栄が昭に「お前と二人三脚でとうとうここまで来たな」と述懐したところから始まる。そう、私は愛人だから角栄の金庫を預かったということではない、角栄が蔵相から自民党幹事長、通産相と出世の階段を上っていく傍らに常にいて、角栄を励まし、角栄を盛りたてたのであって、いわば角栄の政治的同志だったのだと佐藤昭は言いたかったのであろう。それが「二人三脚」という言葉の意味である。

 

そして佐藤昭は『日記』の序章で、児玉の『淋しき越山会の女王』に言及する。確かにある時期、私には屈辱の日々があり、苦しみの人生だった。私にも小さなプライドがあって、それに反する「恥」は自分の人生の中でひっそりと消し去って生きてきた。それなのに公人でもない私の過去を暴くことが政治家田中角栄を潰すための手段であったなら、マスコミ全般と児玉隆也なる人物はあまりにも卑怯である。昭はそう書いた。そういう理不尽への抵抗として、佐藤昭は「昭」を「昭子」と改名もした。

むろん『日記』は、角栄との深い縁がどのように生じたかを書いている。

昭和21年(1946年)2月23日、佐藤昭の母の命日の日、戦後初めての衆院選挙に出馬した角栄が柏崎の昭の生家を訪ねにきて初めて出会ったこと、昭もほどなく地元で知り合った最初の夫と上京したこと、昭和27年(1952年)2月23日、その結婚が破綻したころの昭のもとに角栄が再び訪ねてきて、昭の境遇を聞いて「俺の秘書にならないか」と誘ったこと、同年12月1日、田中事務所に初出勤したこと、初会も再会も2月23日だった奇縁にちなんで、以後、毎年その日には二人だけの食事に誘ってくれたこと、昭は別の男と二度目の結婚をしながら昭和32年(1957年)8月9日、角栄との間にできた娘敦子を出産したこと……。

だが、『日記』を読み進むと、それはむしろ角栄の政治生活についての記述がほとんどを占める。

ロッキード事件で5億円の収賄が取りざたされても「ばかやろう。そんなもの、もらっているかい」と言っていた角栄が東京地検に逮捕されたこと、その後は刑事被告人として裁判を争いながら巨大派閥田中派を率い、「闇将軍」として大平、鈴木、中曽根政権をつくったこと、昭自身は田中派議員の面々を、例えば小沢一郎を「イッちゃん」と呼び、羽田孜を「つとむちゃん」と呼んで、ほとんど対等に、いやむしろ指南役として派閥運営にかかわったこと、しかし角栄に翳りが生じて次代を担うべく竹下登がクーデターを起こしたこと、角栄の怒りが高じて病に倒れたこと、その後は人情紙風船、田中派議員の心が離れていったこと、そんな政治史の裏舞台がごく身近なこととしてつづられる。

重ねていえば、おそらく佐藤昭は『日記』を書くことによって、私は「愛人」と括られるべきではなく、「政治家秘書」として角栄の演出にかかわったのだと言いたかったのであろう。佐藤昭自身が政治に深く関与したという言い分はけっして勘違いということではなく、相当程度、真実と認めるべきである。

それを裏返せば、この『日記』は「愛人」としての佐藤昭が語られていることが少ないということでもある。しかし、佐藤昭はやはり「愛人」である。平凡な人生にはありえない、角栄との愛憎も葛藤もあっただろう。

角栄には、目白の本宅に妻、はな、娘眞紀子がいた。年上の妻はなは、つつましく控えめな女性だった。眞紀子はのちに角栄のファーストレディー役を務め、衆院議員になって小泉内閣で外相を務めた。

もうひとつ、角栄には、神楽坂の芸妓だった辻和子という「愛人」がいた。戦後まもなく若き土建屋のときに料亭に遊んで知り合ったのだから、辻和子が角栄の「愛人」になったのは佐藤昭よりもずっと先である。神楽坂に邸宅を与えられ、一時は本宅の奥様のところにも出入りするという、いわば「旦那と芸妓」の関係で、二人の男の子がいた。男の子は認知され、田中姓を名乗った。そのことをむろん佐藤昭は知っている。

昭の娘敦子は二番目の夫の籍に入っていて、角栄は認知していない。昭は『日記』に「将来ある政治家に認知を求めるつもりはなかった。向こうから言ってきてもお断わりしただろう」と書いている。それが昭の覚悟と自負だったのだろうが、心底深くわだかまりがあったとしても不思議ではない。それにしても、昭は角栄との深い関係がありながら、なぜ二度目の結婚をしたのか。一流企業のサラリーマンだったが、昭は「なぜ一緒になったのか、自分でもわからないところがある」と『日記』に書いている。

さて、ここまで書いてきたことを予備知識として、三番目の佐藤昭伝、佐藤あつ子のこの本を読み返していただきたい。この本はまさに、そのへんを解き明かす、角栄と佐藤昭のなまなましい愛憎と葛藤の物語である。

それが二人の間にできた娘からどう見えていたのか、敦子はなぜそんな境遇に自分は生まれたのかを問い返し、何度もリストカットなど自傷行為や果ては自殺未遂にも及んだ。あつ子の回想を読むと、娘と一緒に暮らせない父との交情、一緒に暮らす母との情愛と確執、幸せとはいえない複雑な家族のかたちがそこにある。