日本の大学はなぜ変われないのか…「研究力」という言葉への違和感

「大学改革」に対する一意見
宮野 公樹 プロフィール

「研究力」とは何だろうか

そこで、改めて「研究力」とは何かを考えます。

研究力を論文生産能力ではなく研究推進能力と捉えるなら、研究力という言葉は、むしろ個々人に対するものではなく、場あるいは組織の力と考えた方がしっくりきます。

これは、統計データばかりみせられても一研究者としてぴんとこない理由を自分で探った結果として気づいたことです。

研究力の可視化としての統計データを元にした議論は、本稿の一番最初に書いたように、筆者が最も本質とする「研究者個々人の勇気と覚悟」にどう影響するのかが読み取れない。

我が国が!とか、大学が!とかいう主語が成り立つ業界、つまり行政や政策での話しなら、それらの推移データやグラフは重要かもしれません。

ですが、学術界を本当に良くする(あるいは悪くする)のも研究者であると認めるなら、それを研究者に見せてどんな議論をしたいのかまで考えないと、今日の右肩下りのグラフは、研究者の不満を増幅し、愚痴を促すだけではないでしょうか。

 

本物の研究者ほど、そのような統計データに耳は貸さないはずです、それが右肩上がりであろうが下がりであろうが。そんなこと知るか。私は今の状況下でも120%研究に打ち込むだけだ、という具合に。

研究力とは個人ではなく組織の力というのは、まさにそういう本物の研究者を育ち保てる土壌や気風があるかということなのではないでしょうか。

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自分はどうしてもこれが知りたい!これがやりたい! それに前例がなかろうが、○○分野とラベル貼りできない未踏領域のものであろうが、まして論文という形式に収めることは困難なことであろうが、本人が本気であり、他者を納得させるだけの論理と覚悟を持ち合わせたものなら…… 

それに思いっ切り没入させるだけの度量をみせ、研究者らが安心してリスクをとろうとする環境を保ち、むしろリスクを歓迎し育てようとする風土が組織にあるかどうか。これが適切な「研究力」の言葉の使用だと思うのです。

学術を支援、振興する組織は、定量的な指数が達成されるかどうかを監視するのではなく、そしてもちろん、どの分野が重要といった選定をすることではなく、むしろ、研究者が業績競争ではなく学問精神を切磋琢磨しあう場を保たれているかに気を配る方が本分であるように思います。