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「諜報大国ドイツ」知る人ぞ知る、その本当の実力

2月、情報機関の新庁舎が完成

ゲーレン機関とは何か

2月の初めベルリンに、ドイツの情報機関である連邦情報局(BND)の新庁舎が完成した。

連邦情報局はこれまでバイエルン州の田舎、プーラッハという町にあったのだが、今度ベルリンに完成したのは、敷地がサッカー場14面分、部屋が5000室以上という巨大な建物。敷設されたケーブルの長さは8万kmで、これは地球のほぼ2周の長さに相当するとか。

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ドイツには諜報機関が3つある。海外の情報収集を担当しているこの連邦情報局と、国内の情報収集を担当している連邦憲法擁護庁、そして、連邦軍の防諜機関である軍事保安局だ。中でも一番大きな組織である連邦情報局は、9.25億ユーロ(2018年)の予算を持ち、現在、6500人の職員を抱える。

次に大きいのが憲法擁護庁で、予算は3.49億ユーロ、職員は3100人(2017年)。そして、軍事保安局は予算7900万ユーロで、職員(軍人)1100人。それぞれ、連邦情報局は首相官邸、憲法擁護庁は内務省、軍事保安局は国防省の管轄下にある。

ドイツというのは、知る人ぞ知る、諜報機関の強い国だ。現在の連邦情報局の前身は、ゲーレン機関(Organisation Gehlen)といって、戦後、アメリカの多大な後援で設立された。そのゲーレン機関の初代の長官がラインハルト・ゲーレン。彼はヒットラー時代、名うての諜報専門家だった。

ラインハルト・ゲーレン〔PHOTO〕wikipedia

1902年生まれのゲーレンは、ドイツのウィキペディアの記述が正しければ、「それまで諜報には一切携わっておらず、外国語を理解できず、ソ連についての知識をまるで持ち合わせていなかったにもかかわらず、1942年5月、東方外国軍課の長に任命された」。東方外国軍課とは、主にソ連方面の諜報を担当していた部署だ。

ゲーレンが東方外国課長になったあと、ドイツはものすごい勢いでソ連の軍事情報を収集していくのだが、主な情報源はソ連軍の捕虜だったという。「ソ連軍捕虜に対する温情や人間的な扱いは、すべて厳罰の対象」というのがゲーレンのモットーだった。

過酷な尋問で得た捕虜からの情報、さらにソ連逃亡兵、ソ連の反共主義者などからの情報を基に、ゲーレンは緻密な対ソ諜報網を作り上げていく。

アメリカとの取り引きの末に

1944年10月、対ソ連のドイツの戦局はすでに壊滅的だった。この頃、ドイツ敗戦を誰よりも一番確信していたのがゲーレンであったことは疑いない。それどころか彼は、連合軍が戦後、米ソに分裂するだろうことも予想していた。

そして、その時には、「西側は共産主義の膨張を防ぐ戦いのために、私と、私の部下と、そして私の情報を必要とするだろう」と、考えたのである。第2次世界大戦中、米軍の持つソ連の諜報網は、諸々の理由により極めて脆弱だった。

 

1945年3月、ゲーレンは選りすぐった部下に命じて、すべての重要機密のマイクロフィルムを何重にも作らせた。そして、それを50個もの防水容器に詰め、オーストリアのアルプス山中に、何ヵ所かに分けて隠した(オーストリアはドイツに併合されていた)。

それから彼は自分の家族を、バイエルンの森に避難させた。ドイツ敗戦後、ここにはソ連軍ではなく、アメリカ軍が進駐することを知っていたからだ。