物理学者が問題提起 「相対性理論」はアインシュタインの独創か?

ポアンカレはなぜ生涯許さなかったのか
志村 史夫 プロフィール

何度も繰り返し述べたように、アインシュタインの「特殊相対性理論」の大前提、根幹は「光速不変の原理」であるが、光速不変を検証したのは1887年のマイケルソンとモーレイの実験である。

この実験結果について、アインシュタインは、1922年の日本における講演の中で「マイケルソンの実験の不思議な結果を知り、そしてこれを事実であると承認すれば、おそらくはエーテルに対する地球の運動ということを考えるのは私たちの誤りであろうと直覚するに至りました。つまりこれが私を今日特殊相対性原理と名づけているものに導いた最初の路であった……」(石原純『アインシュタイン講演録』と述べている。

マイケルソンとモーレイの実験の「光速差が見出せない」という“不思議な結果”に対し、すぐに「物体がエーテルの中で運動すると、エーテルの圧力によって、物体が運動方向に収縮する」という“不思議なこと”をいい出したのはフィッツジェラルド(1851〜1901)だった。

ローレンツ(1853〜1928)はフィッツジェラルドと同じ解釈を優美な数式で記述し、さらに、物体が収縮するだけでなく、エーテルの風によって時間も変化する、という新しい発想を導入した。

この数式が完成したのは1904年であり、それはアインシュタインの「特殊相対性理論」の中に示されている数式とほぼ同じである。

ポアンカレの怒り

このような一連の事実を並べてみると、アインシュタインの「特殊相対性理論」は少なからぬ先人たちの思考や仮説や実験結果と無縁でないことは明らかである。

だからといって、「光速不変」を原理として規定し、エーテルの存在をきっぱりと否定し、“時間の遅れ”や“長さの縮み”を理論的に明らかにし、「特殊相対性理論」という革命的な理論体系を構築したのはアインシュタイン一人なのだから、彼の栄光が減じられることは少しもない。

しかし、アインシュタインが1905年の「特殊相対性理論」の末尾に、友人であったベッソーへの謝辞を掲げるのみで、論文中にマクスウェル、ローレンツの名前は見られるものの、マイケルソンやモーレイ、ポアンカレ、フィッツジェラルドらの文献が引用されていないのは、いささか不可解といわざるを得ない。この点において、アインシュタインは非難されても仕方ないだろう。

また、アインシュタインのこの論文の査読者(私はプランクではないかと想像する)が、そのことを指摘しなかったとすれば、私には、それも不可解である。

ポアンカレは並外れて優れた数学者、物理学者で、おだやかな人柄として知られていたが、自身の論文を引用文献としなかったことに関しては、アインシュタインを生涯許さなかったそうである。

私には、ポアンカレの気持ちがよくわかる。

いやでも物理が面白くなる