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牧師とビジネスパーソンにこそ「リベラルアーツ」が必要なワケ

橋爪大三郎の「社会学の窓から」⑨

リベラルアーツがなぜ必要なのか

リベラルアーツがここ数年、ブームなのだという。企業の研修などで「宗教の話をして下さい」と頼まれる機会が増えた。グローバルビジネスの背景に目が向くようになったのはよいことだ。

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「一神教と多神教の違い。その違いは、神さまの人数ではありません。大事なポイントは、神が中心なのか(一神教)、それとも人間中心なのか(多神教)、なんです。いいですね?」

日本橋にある教室の、「比較宗教学」の講義のひとこまである。受講するのは、海外からの学生と日本人の学生。みな社会人だ。仕事の終わった夕方 の講義時間に、私のクラスにやってくる。

昨年8月から、私は、「大学院大学至善館」という、新設のMBAスクールに勤めている。授業は英語/日本語で、学生も海外組と日本人が半々。そして、よくあるMBAと違って、リベラルアーツにかなり力を入れているのがユニークだ。ちょうど一期生の授業が半年分終わったところで、今年の秋入学の二期生の募集も始まった。

 

そもそもリベラルアーツ(自由学芸)とは、なんだろう。ヨーロッパでは、大学の、予科(教養課程)のようなものだった。

ヨーロッパの大学は、神学や、法学、医学を修めるための場所。ドクターの資格をえるための、職業学校(いまで言えば、専門職大学院)である。

でも当時、初等中等教育などなかったから、てんでに集まる学生の素質も学力もばらばら。そこで、専門の教育に入る前にまず、基礎知識を揃えておこうと、修辞学や論理学や音楽や幾何学や天文学や…の、リベラルアーツを学んだのである。

リベラルアーツは、アメリカの大学でも教えられた。

アメリカ最初の大学は、ハーバード大学(1636年創立)だ。最初の百年ほどは、牧師の養成機関だった。卒業生はその間、数百人ほど。専任の教員は学長(プレジデント)だけで、彼が、月曜日はギリシャ語、火曜日はヘブライ語、水曜日は神学、…みたいに一人で教える。リベラルアーツの科目も教えた。

なぜ牧師に、リベラルアーツ(世俗の学問)が必要か。牧師は毎週、説教しなければならない。聴衆は、ビジネスマンもいれば商店主もいれば、農夫も職人も軍人も科学者もいる。

牧師は、そうした聴衆の誰もが「なるほど」と思う説教をしなければならない。要するに、世の中のことをよく知っている必要がある。だからリベラルアーツ、なのだ。

ハーバード大学の卒業生は、もちろん牧師になったが、政治家や経営者や学者になった人びとも多かった。彼らは、アメリカを指導するリーダーとして活躍した。そうした活躍は、リベラルアーツをしっかり学んだおかげだというわけで、このやり方を真似する大学が多くなった。

ハーバード大学は今でも、新入生はみな、FAS(アーツ・アンド・サイエンス学部)に所属する。学部は、ひとつしかない。

ロー・スクール、ビジネス・スクール、メディカル・スクールなどは大学院で、学部の基礎教養を終えてから進むのだ。MBAは、ことさらリベラルアーツ教育をやっていない。そんなものがそなわっているのは、当然だからである。