家をせおって日本各地を歩いた男が問う「生活の大前提」

200回以上職務質問を受けたけれど…
村上 慧 プロフィール

そもそも「家」とは何だろうか

すこし「木」について考えてみる。

木は地面から生えている。そして住所は地面に割り当てられている。だからそこで生えている木は、その住所に生えている。人はどこかに住むものだけど、木みたいに住んでいるわけではない(「木が住んでいる」とは言わない)。

木はただそこで生まれてそこで生きているだけだ。でも同時にそこには住所がある。

木が生きることと住所は本来全然関係がないものだけど、地面から生えている以上は「住所に生えている木」として、土地の持ち主の所有物になってしまう。

こんな木と住所のような関係がこじれた結果、石巻のトレーラーハウスのようなことになっているのではないか。

家は人が生きのびるために作るもので、その最も大きな機能は「シェルター」だ。

他人の視線を遮り、悪意ある人の侵入を防止して、雨や風や虫などから身を守って眠ることができる。シェルターとしての家は日々の生活という「現場」(木にとっての「地面」のようなものかもしれない)に寄り添っている。

そのシェルターが同時に「住所」と結びついている。ここに違和感がある。

 

本来シェルターが必要とするものは屋根・壁・床だけで、住所を結びつける必然性はないように思われる。しかし現代の一般的な家はシェルターと住所という二つの役割を負わされている。

住所は、家に基礎を加えることによって成り立つ。街を歩けばどの家にも基礎がある。

地面を深く掘ってコンクリートを埋め込み、地面とシェルターを固定するという一連のプロセスによって僕たちのシェルターは「住所に立っている家」に仕立てられる。

すると誰がどこに住んでいるのかが整理でき、それは国が個人から税金を徴収するポイントになる。またお金を借りたりする際の信用を得るためにも、家は基礎によって地面に固定しなければいけない(これだけインターネット全盛の時代になっても)。

ここにローンも絡んできて事態はさらに複雑になる。現代の家はとても高額なものになってしまっているので、自分の家に住みたいと思う人はローンを組んでお金を支払い続けなければシェルターが手に入らない。

以前カメルーンでフィールドワークをしている文化人類学者の人から「森の狩猟採集民族であるバカ族は政府の近代化政策によって街道沿いに家を建てて住むことになったが、季節によっては全く家におらず、森に住んでいる」という話を聞いた時、良い住み方をしているなと思った。彼らは2種類の「住み方」を持っているということだ(また「彼らのコミュニティは流動的で、同じ人とずっと一緒にいる必要がないことが影響して、精神的に病むようなことがない」とも言っていた。これも気になる発言である)。

お金を支払い続けなければならないのは、賃貸物件でも同じだ。賃貸とは別の人が所有しているシェルターを借用することで、毎月その所有者にお金を支払うという形態だ。