〔PHOTO〕Can Tamura

家をせおって日本各地を歩いた男が問う「生活の大前提」

200回以上職務質問を受けたけれど…

東日本大震災で「社会の脆さ」を痛感

ちょうど大学の卒業というタイミングで東日本大震災が起こったあの日、僕は東京都台東区橋場という町で友人たち数人と作品制作のスタジオとして借りたビルの鍵の交換に立ち会っていた。

震度5強の揺れは向かいの建物をこんにゃくみたいに揺らし、工事中の東京スカイツリーから伸びているクレーンにぶら下がった鉄製の巨大なフックをぶらんぶらんさせていた。それがスカイツリー本体にぶつかりそうで危ないなと感じたことを覚えている。

その日の夜は隅田川の逆流と、移民集団のキャラバンのような歩行者の群れが橋を渡っているのに驚かされながら、葛飾区の実家へ自転車で避難した。

それからの2年間、僕は台東区の物件に住みながら制作をして、バイトもして、家賃も払って、毎日の生活のために生活をしていた。当たり前のことだ。

 

でもあの津波と原発事故から、自分が立っているこの社会とでも呼ぶべきものの基盤が、思っている以上に脆いものであるということも考えていた。

そして「このまま普通に家賃を払って住むだけでは生き残れないかもしれない」と思い、ひとつ新しい試みとして、自分の「住み方」を作るところから始めてみようと思った。

そして僕は自分の生活に「移住を生活する」というタイトルをつけて、2014年の4月から自作した発泡スチロールの家に住み始めた。その家を肩に背負って、徒歩で運びながら移動生活をしている。

始めた当時は、とても平凡なアイデアだと思っていた。誰かがすでにやっているか、もしくは誰かが自分の真似をするだろうと思っていた。でも他にやっている人もいなかったし、真似をする人もいなかった。

嬉しいことに真似をしてくれる子供はいた

ふつう家には「住所」というものがあるけど、僕はあの津波の被災地で、家が流されてしまった「住所」をたくさん見た。

家を失った人々の多くは仮設住宅に住んでいたけど、僕が聞いた限り彼らの住所は仮設住宅には移されていなかった。

中にはその流された家のローンを支払っている人もいて、さらにその中には新しく建てた家のためにもう一つローンを組んでいる人もいた。

石巻市ではトレーラーハウスに住んでいる女性に出会った。家が被災して仮設住宅にいたけれど、もういい加減出て行こうと思い立った彼女は、そのトレーラーハウスのある場所で住民票が取れずに苦労していた。

役場としては家を動かされては困るから、車輪が付いていると住民登録ができないと言っていた。そして住民票が取れないと、保険にも入れないし、ちゃんと仕事もできない、と。

これらのことが、住所というものを考えるきっかけをくれた。住所と、僕の日々の生活のあいだには何かがある(もしくは、何の関係もないかもしれない)。