血液の難病を克服した元巨人・鈴木康友さんの勇気

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「おお康友っ! 生きていたか?」

病気を完治させるには「臍帯血移植」が必要でした。医師は「移植をしても完治は50~60%の確率です」と告げました。悩んだ末に康友さんは臍帯血移植を受けることに決めました。

「手術をしたのは去年の3月。体の中で戦争が起こってるような感じで辛かったですよ。幸い経過は良好で夏には退院し、秋からは仕事の復帰も許可されました」

赤ん坊のへその緒からとった臍帯血、康友さんの手術には現在、二歳になる男の子のそれが使われました。「今、僕はその子の血で生かされている。生まれ変わった気分です。実際、血液型もこれまでのO型からその子のA型に変わるんですよ。本当に新しい人生ですね」。かすかな笑みを浮かべて康友さんはそう言いました。

 

現在は長男の母校・立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチに就任し、高校生を相手にノックバットを振っています。「握力はまだ落ちたままですが、もう息切れすることはありません」と康友さん。

さらに今キャンプからは評論活動も再開しました。オリックス、福岡ソフトバンク、そして巨人と宮崎でキャンプを張る球団を取材しました。ひとつ年上の巨人・原辰徳監督からはこう声をかけられたそうです。

「おお康友っ! 生きていたか?」

それを受け、「原さん、段々、長嶋茂雄さんに似てきましたね」と冗談めかして康友さんは語りました。そして、こんな裏話も。

原監督は81年、ドラフト1位で巨人に入団しました。その年、グアムキャンプで現地の日本人による食事会に原さん、康友さん、篠塚利夫さんの3人が招かれました。その道中、ルーキー原辰徳はこう言ったそうです。

「『ねえ、オレが監督になったら、そのときは2人がコーチをやってよ』って。この新人、ただもんじゃないなと思いましたよ」

果たして、02年、康友さんは第1期原巨人の守備走塁コーチに招かれ、日本一に貢献しました。難病を克服した名コーチのユニホーム姿をもう一度、見てみたいものです。