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アラフォー女優が告白「15年続いた私の摂食障害」

思春期に植えつけられたトラウマとは?
松下 恵 プロフィール

両親の離婚

私が過食をしていた頃、常に思っていた感覚がある。

食べても食べても、心が満たされない。

なんとなく、寂しい。愛されたい。でも私を満たしてくれる人はおらず、甘いものを食べて、気持ちをごまかす。

 

あのアンバランスな精神状態は、10代特有かもしれないけれど、今でも思い出したくない。

16歳。精神的に不安定だった頃

当時、母も、父との関係がうまくいかずに悩んでいた。

私たち母娘は、お互いに何でも話し合う友達のような関係だった。

毎晩のように、母の悩み相談にのっていた。

幸せそうではない親の姿を見るのは、子供にとっても辛いこと。

母が、飛び立ちたいのに飛び立てない、羽をもぎ取られた鳥のように見えて、同情していた。

父との離婚をすすめたのも、私だ。

私の父は芸能界とは無縁の一般人。真面目で優しい、おだやかな人だ。

スイスに10年以上住んでいたことがあり、アインシュタインと同じチューリッヒ工科大学に通っていたらしい。

語学が堪能なので、父のおかげで私はドイツ語を学ぶようになり、最近は父とドイツ語でラインのやりとりをしている。

うまくいかない二人をなんとかつなぎ止めようと、子供なりに頑張ったこともある。

父をアメ横に連れて行き、ダイヤの指輪を買わせ、母にプレゼントさせたのだ。

父の照れ臭そうな顔と、母の困ったような表情を、今でも覚えている。

それでも、夫婦の問題を子供にはどうすることもできない。

私はとにかく、母には元気な自分を取り戻して欲しかった。

18歳の誕生日。両親が目の前で、離婚届に判を押すのを見て、「なーんだこんな紙切れ一枚のことか」と、ずっこけそうになった。

そんな影響もあってか「結婚への憧れ」というようなものは、私の中から徐々に消えていったのかもしれない。

そして誰もいなくなった

母はその後、再婚してアメリカへ。父も、しばらくしてから再婚。

だだっ広い家に残ったのは、私と祖母の2人だけだった。

1階には祖母が住んでいたので、私は都合よく祖母に甘えつつ、実家で優雅な一人暮らしをしていた。

当時、番組の取材で家を訪れたディレクターに、

「キミにはこんな恵まれた生活環境があるのだから、もっと色々勉強して、芸術的なことがやれるはずだ」と言われた。

でも、当時の私はやりたい放題。自分の環境に感謝することもなく、満たされない気持ちを埋めてくれる何かを見つけるため、深夜まで友達と遊んだり、ぐちゃぐちゃな生活を送っていた。

ぬくぬくと恵まれた環境で生きてきたから、周りに感謝をする気持ちがなかった。すべてがもともと目の前にあって当たり前のような感覚で、生きていた。

地方から女優を目指し上京してきて、親元を離れ一人暮らしをしている子たちが、必死で生活している頃、私はただぼんやり時間をやりすごし、重箱の隅をつつくように小さな不満を見つけては、わがままを言っていた。

もっと早くに、きちんと自分が精神的にも経済的にも自立することを考えていれば、まともな日々を送り、いい人を見つけ、とっくに家庭を持っていたかもしれない。

けれど、私の場合は、恵まれすぎた環境で、人生において何が大事なことなのか、見えなくなっていたのだ。その結果が、今の私。

両親が離婚をするちょうど1年前、17歳のとき、私は一人の男性に恋をした……。

(次回に続く→第3回は<アラフォー女優の告白「俺を殺してくれと迫る男との交際経験」>https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63485