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アラフォー女優が告白「15年続いた私の摂食障害」

思春期に植えつけられたトラウマとは?

松下恵、女優、38歳、独身。ご本人によれば、人並みに恋愛もしてきたにもかかわらず、一度もプロポーズをされたことがないという。

親からのプレッシャーもあり、30代になるころから、1年1年が過ぎていく度に、焦燥感は高まっていった。「どうして私は結婚できないんだろう?」と考えた彼女。徹底的に自分の内面に向き合ってみることにした。

結婚したいのに、結婚できないアラフォー女優が「自分と向き合った心の旅」。

第2回は、精神的に不安定だった思春期のこと。

(第一回はこちらから→<アラフォー女優の告白…「私が結婚できない理由を真剣に考えた」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60082

 

ビッグマザーに植えつけられたトラウマ

大正生まれの祖母は芸大卒のピアニスト。祖父は東大卒の名誉教授だった。

祖母は、正真正銘の「お嬢様」で渋谷区広尾に住んでいた。そこが私の実家である。母校の青山学院までも、歩いて10分の距離。

仕事が忙しい母に変わって、私を育ててくれたのは、祖母だ。彼女がビッグマザーと言ってもいい。

おばあちゃんは、何から何まで手取り足取り、孫の面倒を見てくれた。

右から祖母、母・榊原るみ、私

ピアノも3歳から習い始め、お正月と風邪をひいたとき以外は、練習を休ませてもらえなかった。

「テクニックより、一番大事なのは心よ」と、いつも言われていた。

その後に演技をするようになって、ピアノも芝居も、通じるところがあるんだな、と身に染みた。

中学に上がり、仕事が忙しくなると、祖母は私の「送迎グランマ」として大活躍する。

学校から、『3年B組金八先生』の収録がある緑山スタジオまでは、表参道から電車に乗っていた。

青学から表参道まで、歩いてわずか10分なのだが、私は一度も歩いた記憶がない。

授業を早退し、校門を出ると、いつもそこに祖母の愛車、ボルボが停まっているのだ。

私はそれに乗り込み、表参道へ。たったの5分、乗車するだけである。その距離を送り届けるためだけに、祖母は毎日のように、ボルボを出動していた。

しかも、収録が始まった頃は、お弁当付きだった。

5分間で食べきれるわけないのに、お昼ごはんを食べる時間がない私のために、毎日のように作ってくれていた。

私はボルボに乗り込むやいなや、早食い競争のように、お弁当をかきこみ、慌てて下車すると、電車に飛び乗っていた。

元々は、母のステージママをしていた祖母。

「孫をきちんと時間通りに仕事場に送り届ける」という使命に燃えていたのだろう。

祖母がいなかったら、今の私はいない。彼女の献身的なサポートのおかげで、仕事と学業をなんとか両立することができた。

ちなみに、祖母の口ぐせは、「結婚するなら、東大、早稲田、慶応じゃなきゃダメよ」だった。そしてさらに、「身長は高く、目は大きくて、外国人みたいな顔がいい」と続く。

確かに、祖父は若い頃、とてもイケメンだったし、東大なのだから、祖母は自分の理想の人を捕まえたことになる。

祖父と祖母

「見た目」に関しても、異常なほど気にする人だった。

幼稚園の頃、パッとしない私の顔を見て、化粧台に座らせ、眉毛を書き足したことがある。そのまま幼稚園に行って、先生に「アラ! 恵ちゃん、眉毛を書いてるの!」と笑われ、恥ずかしい思いをしたのを覚えてる。

「あなたは美人じゃないんだから、人前ではいつも笑っているように」「指は短いから、パーではなくグーにしていなさい」。

家を出かける際には「行ってらっしゃい」ではなく、なぜか「太っちゃだめよ」。

もちろん祖母の多大なる愛情には今でも感謝しているけれど、いつもいい子にしていなくてはいけない、綺麗にしていなくてはいけない、という祖母の厳しい教えが、時には私を苦しめることにもなった。