# 中国経済

衝撃! なぜいま中国で「財産をすべて失う人」が急増しているのか

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姫田 小夏 プロフィール

財テク見本市

「中国では財テクで失敗する人が増えている」――筆者はこの王さんの話を聞いて意外な気持ちに襲われた。だって、みな過去にあれほど痛い思いをしているじゃないか、あの痛みをもう忘れてしまったのだろうか…と。

中国人の「財テクの失敗」を語るには、2007年にさかのぼる必要がある。2017年10月16日、この日中国は歴史的な記録に沸いた。上海株が6124ポイントの史上最高記録をつけたのである。だが喜びもつかの間で、上海総合指数はあれよあれよと急落し、1週間も経たずして5000ポイントを割ってしまった。

その1カ月後、上海では「財テク見本市」が開催され、サラリーマンやOL、そして年金生活者を含む一般人たちが会場に殺到した。急落した株に代わる財テク情報に、誰もが鵜の目鷹の目だった。

入場券を持たない男性が会場入り口で遮られ、「入れろ、入れろ」と警備員につかみかかっていた。会場内では演壇に立つ“財テク講師”を囲んで何重もの人垣ができたのである。

〔photo〕gettyimages

今に見るP2Pの原型ができたのも2007年だった。上海拍拍貸金融信息服務(拍拍貸)の金融サービスは、のちに大ブームとなるP2Pの先駆けであり、他のソフトウエア企業などがこれに続いて参入を始めた。

前年にはバングラデシュのグラミン銀行創始者であるムハマド・ユヌス氏が、マイクロ・クレジット(貧困層向け小口融資)の功績を称えられノーベル平和賞を受賞した。こうした空気が中国にも伝播し、“P2P元年”が幕開けしたのである。

もとより、中国では地縁や血縁で結ばれた人たちの間で資金を出し合い、必要な人に貸すという「民間借貸」という地下金融が存在していた。日本の「講」のようなもので、特に中小・零細企業が集中する浙江省などで資金調達ツールだったが、P2Pもまた「ネット上でできる民間借貸」としての性質を備え、小規模事業者への小口融資として発展した。金融改革が遅々として進まない中国で、中国政府も後押しする金融サービスの1つになった。

 

怒った中国人、支店を取り囲む

P2Pの本格的な普及は2013年前後から始まるが、2007年以降、上海の市民がはまったのは銀行が販売する財テク商品だった。中国四大銀行をはじめ多くの銀行が「資産運用目的の客」の争奪戦を展開したのだが、リーマンショックも重なり、財テク商品を買わされた客はのちにひどい目に遭った。

例えば、2007年に光大銀行が発行した財テク商品「同享二号」は、償還期を迎えたときには30%の元本割れとなった。当時、10万元でこの商品を買った顧客は3万元が消えてなくなった。2009年に招商銀行が売り出した財テク商品もひどい元本割れを起こした。怒った顧客が支店を取り囲む騒動は当時、全国で報道された。

さらに、中国工商銀行が2011年に販売した財テク産品は、2013年1月時点で44%もの損失を出した。運用先は瀕死の太陽光パネルメーカーだった。2014年、春節を前後して、中国では信託商品がデフォルト危機に陥った。2月には吉林信託が組成した「吉林松花江77号」が貸し倒れの危機に直面した。

これらが教訓となり、「財テク商品は危ない」というのが都市部(少なくとも上海)の市民の共通認識となったのである。実を言えば筆者も“銀行理財”の犠牲者で、「二度と手を出さない」と心に決めたひとりだった。