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恋愛結婚は見合い結婚より幸福か…?行動経済学的視点で考えてみた

人それぞれではあるけれど

見合い結婚は死滅したのか

筆者の学生時代には、「見合い結婚か」それとも「恋愛結婚か」という問答が良く行われていた。

当時でも花嫁・花婿候補者たちは概ね「恋愛結婚派」であり、「見合い結婚派」は親やご近所さんなど当事者では無い人々が中心であった。

その後、テレビドラマなどで「親が勧める縁談を断り続けるキャリア・ウーマン」というのは欠かせない登場人物であったが、それも最近ではほとんど見かけなくなった。

もちろん、今でも見合い結婚は存在するが、親や親族の意向など関係なく、当人たちの考えでほぼすべてが決まる「結婚紹介所」的な役割を担っているに過ぎないようにも思える。

しかし、今でも世界の多くの地域では「取り決め婚」が当たり前である。しかも、その取り決め婚は「見合い結婚」のように、当人達の見合いなど行わないのが普通である。

例えば、結婚式の宴でも花嫁はベールをかぶったままで、式のクライマックスで花婿がそのベールを上げたときに花婿が花嫁の顔を初めて見るなどというのはごく普通である。いわゆる「親の決めた許嫁」や「政略結婚」などというものに近いスタイルだ。

「親が勝手に自分の結婚相手を決めるなんて、封建的な横暴だ!」と思う読者が多いかもしれない。実際、時代劇で、親が決めた許嫁以外の人を好きになって駆け落ちするというのは、あまりにも定番のストーリーで、ほとんどの読者が駆け落ちする若いカップルに同情するだろう。

 

恋愛結婚が普及してから離婚が増えている

だが、本当に自分が選んだ結婚相手が自分を幸せにしてくれるのか? という問いに真剣に向き合ったことがある人はどれぐらいいるだろう。むしろ、親や親戚などの、自分のことを親身に考えてくれる人々が選んだ候補者の方が、結婚相手としてふさわしいのではないだろうか...と考えた人は?

人間の行動の本質を解き明かす「人間経済科学」の研究を行っている筆者には、その問題の答えを出すことが世間で考えられているよりもはるかに難しいように思われる。

まず、「結婚」と「恋愛」は全く違う行為である。現在では恋愛の最終結果が結婚だと考えられているが、それはどう考えてもおかしい。

たとえば、ロミオとジュリエットの燃えるような恋! このような恋愛の結末は「2人が結ばれる」ところにあり、悲劇的な理由で結ばれなければさらに観客の心をうつ。青春恋愛映画でも、2人が結ばれるまでの過程を描くのが普通だ。結ばれて結婚してからの数十年にわたる生活を描いた恋愛映画など無い。

それに対して「結婚」は2人が「結ばれてからの物語」であり、結婚式で誓うように、どちらかに死が訪れるまで添い遂げるべきだと考えられている。離婚に至る結婚を幸せだと考える人は少ないであろうし、銀婚式、金婚式などを仲睦まじく迎えるのが理想だといえる。

しかし、残念なことに私の周辺でも離婚するカップルが目立っている。昔よりも人生が長くなっていて、相手に飽き飽きすることが多くなっているのかもしれないが、それだけとは言えないはずだ。

もちろん、死ぬまで新鮮な恋愛感情を持ち続ける夫婦が存在しないわけでは無いが、それは例外と言ってよいだろう。

一般的には数カ月・数年単位の恋愛に対して、結婚は数十年単位(それを前提)の話なのである。

もっとも、米国や南米では恋愛感情が冷めて離婚するのをあらかじめ予想して、結婚するときに離婚時の財産分与を決めておくのがごく普通だが、それを世知辛いと感じるのは筆者が日本人だからだろうか?