あの往年の名レスラーが妻を亡くしてメキシコ移住を決めるまで

いつかまた逢う日まで…!
田崎 健太 プロフィール

全身プロレスラー

レスラーは加齢による衰えから逃れられない。人生の下り坂に入った、浜田さんをこの二番目の妻が支えることになった。時折リングに上り、残りの時間はパチンコ店と喫茶店で紫煙をくゆらせるという緩やかな時間を過ごしていた。

そんな生活が一転したのが昨年のことだった。

まずは五月に浜田さんの四女、文子さんが麻薬取締法で逮捕。記者会見の席で浜田さんは、いつにない神妙な表情で頭を下げた。その後、浜田さん自身が脳梗塞となった。

さらに、大晦日に妻が急逝――。

「最悪だよ」

浜田さんは下を向いたまま、小声で囁くように言った。

「男は弱いね、がーんと来る」

二番目の妻との間に一人の息子がいた。彼は母の死をきっかけに家を出たいと言い出した。そこで浜田さんの存在が宙に浮くことになった。

 

そんな浜田さんに手を差し伸べたのは、メキシコに戻っていた文子さんたちだった。

「娘たちが来いっていうんだ」

そう言うと、ごほっ、ごほっと咳き込んだ。

メキシコ行きの準備を始めて、改めて浜田さんは自分が妻に頼り切りだったことに気がついた。家のどこに何があるのか全く分からないのだ。まずはパスポートが見あたらなかった。結局、利根川さんに付き添われて関係各所を回り、紛失届を提出、不明となっていた本籍地を探し、書類を集めてパスポートを再発行した。

航空券はソチさんが手配してくれた。いい娘さんですねとぼくが口を挟むと「ねぇ」とこくりと頷いた。

「浜田さん自身は、メキシコに戻りたいっていう気持ちはあったんですか?」

ぼくの問いに、彼は首を振った。

「俺は東京の方がね……。でも、東京にいると金が掛かるしね。(賃貸していた住宅を引き払うので)住むところがないんだよ」

メキシコに持っていく荷物は鞄ひとつだよ、と小さな声で言った。

別れ際、今度はメキシコで話を聞いてもいいですかと言ってみた。

「待ってるよ。文子の電話番号は知っているか?」

利根川さんに聞けば分かりますとぼくが答えると、浜田さんは頷いた。そしてにっこりと笑うと片手を上げて、店の扉を押して出て行った。

近所にちょっと出かけてくるのだという風な彼の笑顔を見て、全身プロレスラーという言葉が頭に浮かんだ。

レスラーとは、タイツとリングシューズ、身の回りの最低限の荷物だけ持って、世界中を回る逞しい人たちである。どこに行っても、なんとかなるという自信を彼らは懐に潜ませている。それは年を取り、継続的な投薬が必要になった躯となっても変わらない。ぼくはその眩しいほど楽天的な彼らに惹きつけられてきたのだと。

撮影:田崎健太