あの往年の名レスラーが妻を亡くしてメキシコ移住を決めるまで

いつかまた逢う日まで…!
田崎 健太 プロフィール

「月200万は稼いでいたかな。少ない時で、だよ」

浜田さんがレスラーとして成功を収めたのは、75年6月にメキシコに渡ってからのことだ。

メキシコ時代の武勇伝については前回会ったとき、前のめりで話してくれた。

「プロスポーツでプロレスが一番人気だったもの。観客は娯楽として考えているからさぁ、ワンワン声出して、ビールガンガン飲んで発散して帰る。面白けりゃいいんだもの。いい試合だと客がワンワン言って、小銭が飛んでくる。お金がぽーんと当たったら〝イテテッ〟って痛がったりすると、どんどん飛んでくる」

「それを自分たちで拾ったり、若い連中がリングに上がって集めてくれたり。で、それを出た選手で分ける。それが馬鹿にならないのよ。ギャラよりも多いときがあった」

「あの頃、日本円に換算して月二百万ぐらいは稼いでいたかな。それは少ないときでだよ」

 

人気レスラーとなると女性も寄ってくる。

「凄い人気だったもの。正直な話、よりどりみどり。男だったら、いい娘捕まえてって、みんな思っているでしょ。それが出来ちゃうんだ」

メキシコ滞在して二年ほどした頃、現地の女性と結婚している。彼女には二人の連れ子がおり、一人は元プロレスラーのソチ浜田である。さらに二人の娘が生まれた。

78年に日本へ一時帰国、その後はメキシコを拠点に日本に行き来する生活が続いた。

メキシコでは三階級でチャンピオンになり、人気レスラーとしての地位を築いた。そして長州力さんの他、小林邦昭さん、初代タイガーマスクとなる佐山サトルさんたちのメキシコ修行の受け入れにも浜田さんは関わっている。彼は日本とメキシコのプロレスを繋ぐ存在となったのだ。

メキシコ生活はプロレスの人気の翳りと共に幕を下ろすことになった。

浜田さんらしく正確な年月は記憶していないというが、九十年代にメキシコを引き払って日本へ帰国している。

「永住権も取ったけど、日本に帰るときに返した。もうメヒコには戻る気はなかったからな。未練もなかった」

首都、メキシコ・シティに所有していた二つの家も手放した。

「カミさんにみんな持って行かれた。そうじゃないと離婚しないって言うんだから。子どもたちも別れてっていうから、全部渡して別れたんだ。文字通り、ケツの毛までむしられたよ。昔の写真は全部燃やされた。リングシューズも何個もあったのに全部捨てられた。だって(彼女には)関係ないもの。日本人であれ、メヒコであれ、女は怖い」

昔、女性と散々遊んだツケが完璧に回ってきたのだとヒヒヒと笑った。

「ドツボにはまった。今でこそ、笑い話に出来るけど当時は真っ青になった。波瀾万丈どころじゃない、それを通り越してるんだよ」

浜田さんは日本に帰国後、日本人女性と二度目の結婚している。