あの往年の名レスラーが妻を亡くしてメキシコ移住を決めるまで

いつかまた逢う日まで…!

「何もやる気がおきないんだよ」

本当に話を聞きたいと思う人には、躊躇なく連絡を取るべきである。これはノンフィクションの書き手としてぼくが痛感してきたことだ。まごまごしているうちに、思ってもいなかった大きな波が来て、全てをさらってしまうことがあるからだ。

旧知の利根川亘さんから、グラン浜田こと濱田廣秋さんがメキシコに〝移住〟するという話を聞いたのは二月頭のことだった。利根川さんは、レスラーのグッズなどを製作する会社を経営しており、浜田さんとも十年来の付き合いだった。

 

浜田さんには『真説・長州力』を書く際の2014年10月に取材している。東伏見の喫茶店で会った浜田さんは、煙草を切らすことなく吹かし、冗談を飛ばす明るい人だった。

82年4月から約半年、長州さんはメキシコを拠点にしていた時期がある。そのときに現地で面倒をみたのが浜田さんだった。二人はタッグを組んでUWAタッグ初代チャンピオンになっている。

浜田さんは当時のことをこう教えてくれた。

「(長州さんと組むのは)楽だよ、パートナーがいいと。ヤバイなと思ったら、すぐに出てきてくれるじゃない。流れも分かっているし。色んな面で楽だったね」

その浜田さんが昨年、脳梗塞を患ったことは耳にしていた。昨年末に奥さんが亡くなったことをきっかけに娘たちのいるメキシコに居を移すというのだ。浜田さんは六八歳。まだ老け込む年ではない。ただ、メキシコに行ってしまえば、話を聞くことは難しくなるだろう。そこで利根川さんに出発前に話を聞けないかと頼んでもらったのだ。

待ち合わせ場所に指定されたのは青梅街道沿いのファミリーレストランだった。約束の十五分前に到着すると、すでに浜田さんは利根川さんと席に座っていた。心なしか白髪が増え、躯が少し萎んだように見えた。

「ご病気以来、耳が悪くなっているので隣に座ってもらえますか?」

利根川さんは浜田さんの隣の席を指さした。ご無沙汰してますとぼくが挨拶すると、浜田さんはこくりと小さく頷いた。

「メキシコへ行く前に浜田さんにじっくりと話を聞いてみたいと思ったんです。ご病気の後、どんな状況ですか?」

「状況はね、躯がだるい。最悪。何もやる気が起きない」

振り絞るように小さな、そして擦れた声だった。

浜田さんは1950年に群馬県前橋市で生まれた。高校時代は柔道のオリンピック代表候補に選ばれている。ただし、彼自身は、照れなのか、あるいは真面目な話をするのが流儀に反するのか、詳しく経歴を話すことはない。例えば、彼は高校時代、柔道の有望選手であり、オリンピック代表候補に選ばれている。

しかし、それについて詳しく話したことはない。これを機に浜田さんの辿って来た道をきちんと聞きたいと思ったのだ。