張飛が艶っぽい遊女に⁉江戸の人々が遊び倒した「三国志」のパロディ

局アナが語る「三国志の日本史」②
箱崎 みどり プロフィール

はじめの五丈原での対陣シーンや、船で日本にやってくる時、孔明は自ら順風を祈ったこと(赤壁の戦いで風を呼んだ孔明を踏まえています)、関羽が八十二匁の銀の煙管を水車のようにまわす(青龍偃月刀は八十二斤と言われています)など、『通俗三国志』を踏まえた描写がある一方で、関羽が洒落本を書いているなど、作者の想像力も自在に発揮されています。

最後は、仲達が攻めて来て、諸将と呑み合いで戦いますが、孔明の雛木偶人(ひなにんぎょう)で追い払います。ここは、まさに「死せる諸葛行ける仲達を走らす」のパロディ。遊郭の外のお堀に、孫権の遊船が音楽と共に現れ、皆はさらに呑み合いますが、全ては夢だった、と幕が引かれます。

この『通人三国師』で、名を改めているのは孔明だけ。後の登場人物は、劉備・関羽・張飛などなど、そのままの名前で、日本での生活を送っています。孔明改め香三郎を主人公として据えることで、読者の感情移入を促す意図があったのかもしれません。

艶やかになった張飛

続いて、『通俗子』(昌平菴渡橋作、寛政12[1800]年)。

宴得(劉備)と不侫(関羽)が、花魁・花扇を取り合い、それを妓女・町妃(張飛)がとりなすというお話。最後の場面は、町妃に諭され、花扇を譲り合う二人ですが、実は花扇は、文殊菩薩の化身で、三人に兄弟の約を固めるよう言いおいて去るというもので、三人はその場にあった鯉のあらいの血を盃に注いで兄弟となります。

英雄が「永遊」、八十斤の青龍偃月刀を持った関羽が、「青竜亭にて八十斤の酒を衆人を相手に呑みつくせし神田のふねい」となるなど、「三国志」らしさが散見されます。中でも、女性にされた張飛に関するパロディが秀逸!

『三国志演義』の張飛は、出身地から「燕」の人、「燕人張飛」(えんひとちょうひ)と紹介されるのですが、『通俗子』では、「艶人町妃」となっています。考えてもみなかった「えんひとちょうひ」の異字。

もしかしたら、このダジャレからお話を思いついたのかもしれません。

曹操の手土産はふぐ!?

最後にご紹介する洒落本、『讃極史』は、寛政年間中(1789~1801年)の刊行で、千代丘草庵主人作。

孔明に蜀を任せ、孔明の草廬、臥龍岡に引っ込んだ劉備改め徳玄の許に、雪が降る中、孫権、そして曹操が訪ねてきます。こたつで徳玄が出すお菓子を食べたり、二人が持参したお土産を食べたりしながら話しこみ、花街に繰り出す、というお話。

徳玄が出すお菓子は、日本で流行りの品。そして、曹操が持ってくる手土産は、「てつはう(鉄砲)」、つまり、ふぐ! 当時としては、中(あた)るかもしれないけれども美味しい魚を持ってくる辺り、私がイメージする曹操にぴったり。

「自分が天下の人にそむこうと、天下の人にそむかれることは我慢ならんのだ」、私がふぐの毒に中る訳がない、と自信満々の曹操の顔が目に浮かびませんか。

一応、舞台は臥龍岡なので中国にいるはずですが、彼らの会話の中には、「日本ではこうらしい」「日本人はこうだ」等、当時の風俗が織り込まれています。江戸を生きる読者たちには、「三国志」と自分たちが暮らす世界が続いているように感じられたのではないでしょうか。

劉備たちが日本化されている『讃極史』ではありますが、それを読むためには『三国志演義』の深い知識が求められることを例に、文学研究者の徳田武氏や中川諭氏は、江戸後期において『三国志演義』が、相当に高度の受容のされ方をしていたと指摘しています。

滝沢馬琴の「三国志」語り

こうした種々の書籍類の中で、一番の大作が、『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴作、文化11[1814]~天保13[1842]年)。

物語自体は、『水滸伝』を大枠にしていますが、関東大決戦は、赤壁の戦いがモチーフになっており、江戸湾を長江に、犬士たち里見軍を孫権・劉備軍に、公方・管領軍を曹操軍に見立てています。

孔明と周瑜が火攻めを決める場面、龐統を曹操軍に送り込み敵軍を自軍に優位に操る場面、黄蓋が降伏すると偽る場面などが、犬士たちの活躍に組み替えられています。

さらに、「『演義』では孔明が風を祈ったというが、風向きが変わったのは偶然だろう」とか、『演義』で孔明の事跡になっている「敵に矢を借る話」と「空城計」は、史書によれば、唐の張巡の故事と、漢中での趙雲の行動だと、考証まで交えているのです。滝沢馬琴の「三国志」愛の強さを感じませんか?

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