大河ドラマ『いだてん』に「ハデな主人公」が存在しない深い理由

これは19世紀の小説と同じだ
堀井 憲一郎 プロフィール

タイトルが終わったら、1年経っていて、昭和35年(1960年)の古今亭志ん生である。

そこから明治42年の美濃部孝蔵へ飛んで、いったん昭和35年の志ん生に戻って、また明治42年の美濃部孝蔵へ行き、続いてそのまま明治42年の嘉納治五郎と移った。

たぶん、このへんでくらくらし始めた人がいたとおもう。

ジェットコースターに乗り慣れてないと、酔いそうな振られかたである。

どうしてこんなに行ったり来たり?

でも、なんかおもしろい。私はわくわくした。

おそらく、わくわくする人と、取りこぼされていく人に分かれていったのだろう。

「なんか楽しい」けれど「視聴率はよくない」となる分岐点である。

第一話を「誰のシーンだったか」をざっくり割ると。

「嘉納治五郎タイム」39分
「昭和の古今亭志ん生タイム」7分、
「美濃部孝蔵(明治の志ん生)タイム」4分、
「田畑政治タイム」4分。

嘉納治五郎がもっとも長かった。でも昭和の志ん生もそこそこある。

1910年あたりと、1960年あたりを行き来していて、それを2019年から見ているわけだ。いやはや、なかなか落ち着きがない。落語には「あなたは落ち着きさえすれば、一人前だ」と言われる人物がときどき出てくるが、それをおもいだしてしまった。

 

第一話の終わりに「隈取りした中村勘九郎」が出てきた。「車、やらぬ」の梅王丸ではなく(わかりにくい比喩ですません)、マラソンで世界記録を叩きだした金栗四三選手だった。

第二話からは金栗四三(中村勘九郎)が中心になる。

第二話の時間配分は

「金栗四三」25分。
「美濃部孝蔵(明治の志ん生)」10分、
「昭和の志ん生」1分、
「嘉納治五郎」1分

だった。

明治の時代が中心だけれど、昭和も入ってくる。そのふらふらぶりは変わらない。

「地味人」が多いドラマ

登場人物に「偉人」がいない。

大河ドラマは、いままでは「日本の歴史に関わったレベル」の人物が次々と出てきて展開することが多かった(一部、例外はあります)。

中心は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人、あとは幕末の長州、薩摩、土佐の志士たちである(肥前はほぼ無視されて気の毒である)。もう60年近くやっているので、信長・秀吉・家康は繰り返し中心役で出てしまい、最近の主人公はその周辺の人にまで及んでいる。

井伊直虎や真田幸村や黒田官兵衛が主人公になり、でも井伊直虎の物語は、つまりは徳川家康の話であるし、真田幸村の話はやはり豊臣秀吉・秀頼の物語である。結局、同じ時代を違う方向から見直すことが繰り返されている。