衝撃…!少子化の根本原因は、50年前の「国の政策」にあった

日本の人口を減らそうとした時代が…
週刊現代 プロフィール

少子化は本当に「悪」か

ふたたび、日本の人口増加が進むかに思われた。だが、「人口を減らす動き」は、忘れた頃にまた繰り返される。

背景には、当時アジアを中心に進んでいた急激な人口増加があった。

このまま人口膨張や環境汚染が進めば、100年以内に地球上の成長は限界を迎える――。'72年に民間組織「ローマ・クラブ」が発表した報告書『成長の限界』は世界中に衝撃を与えた。

敗戦から奇跡的な経済的復興を遂げ、'64年の東京オリンピック、'70年の大阪万博と世界へのアピールに余念がなかった「アジアの優等生」日本は、人口抑制においても、世界の先陣を切ろうと試みる。

「いまこそ我々が先頭に立って人口抑制に取り組まなければならない」

1974年に開催された「日本人口会議」で基調演説をした大来佐武郎海外経済協力基金総裁(のちの外務大臣)の言葉からは、並々ならぬ意気込みが滲んでいる。

この会議では「子供は二人まで」というスローガンが採択され、新聞各紙も大々的に報じた。

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同日付の読売新聞は、人口研究の第一人者だった慶應義塾大学の安川正彬教授のコメントを掲載している。

〈いますぐこの(出生抑制の)提案を実施しても、若年層が多いため、人口は二〇一〇年に一億二千九百三十万人になるまで増え続け、現在の一億人に落ち着くのに百八十年かかる。『せめてこれくらいの努力をしようではないか』というのが、会議全体を通じての雰囲気だった〉

「挙国一致」の体制で人口を減らそうとする動きが、ふたたび巻き起こったのだ。いまからわずか50年ほど前のことである。

この「子供は二人まで」という宣言の効果は絶大だった。ここから日本の出生数と出生率は低落の一途をたどることになる。

「現在からすれば、'74年前後の出生率は、一国の人口規模をかろうじて維持できる数字に過ぎなかった。

しかし、毎年100万人以上のペースで人口が増えるという事態に、国もメディアも焦りを覚えたのです。当時の状況を踏まえれば、彼らを責めることはできません。

ただ、このときの国を挙げた動きが、現在の日本の『致命傷』になっていることは事実でしょう」(前出・河合氏)

国や学者、そしていまよりも遥かに影響力の大きかった新聞がこぞって人口減少を主導すれば、おのずと国民の行動に絶大な影響を及ぼすのは自明のことだった。

権威によって、いかにも正しいかのように語られていたことが、後から見れば間違っている。歴史上、繰り返されてきた悲劇が、戦後の日本でも起きていたのだ。

 

翻って考えると、いまの新聞は人口減少によって日本に訪れる「危機的な状況」を叫んでいる。どれももっともらしく聞こえるが、果たしてこれらは正しいのだろうか。

青森大学名誉教授で人口問題に精通する古田隆彦氏は「人口減少によって生産人口と消費が減ることは確かなので、経済規模を減らさない努力は必要だ」と断った上で、違った見方を提示する。

「人口減少についてはマイナスの側面ばかりが叫ばれるあまり、誰もプラスの部分を見ようとしません。労働人口の不足はAIやロボットの利用が進めば、ある程度はカバーできるでしょう。

人が減ると生活インフラが維持できないから大変だという意見もありますが、それも完璧を目指すのではなく必要な部分だけ維持するように切り替えればいい。発想を変えれば、人口が大きく減ることで、一人当たりの余裕は増えていきます」

思えば、高度成長期の日本は年平均で10%前後の高い水準で成長を続けた。だが、この時期の人口増加率は、年平均でわずか、1%程度に過ぎない。つまり、人口の増加がほとんどなくても爆発的な経済成長は起きうるのだ。